『東京物語』の日曜夜
土日でバイトに行き、まずまずいい感じの成績を上げた。
で、今はというと(課題なのもあるが)小津安二郎『東京物語』のデジタルリマスター版をネットフリックスで観ている。
観るのは3度目くらいか。
尾道の言葉で話す周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)の老夫婦が、息子娘を訪ねて東京を訪れる。どうやら歓迎ムードではなさそうな息子娘たち。ただ、戦争で亡くした次男の妻、紀子(原節子)だけは違って……という話。
尾道言葉が非常に美しいなぁといつも思う。
特に笠智衆さんのつかみどころのない演技が好きで、『東京物語』以外だと『晩春』の北鎌倉に住む老教授とかもいい。
まぁ20そこらの若造が言うまでもなく名優なわけで。
今、飲んでるのがアルパカと銘打たれた白ワイン。安いのにいいワインだと昔バイト先にやってきたワインソムリエの人(自称だが)が言っていたワイン。
味はよくわからないがまぁ美味いんだろう。飲めるってことは美味いのだ。
肴はもやしのナムル。まぁワインに合わせるべきではないのだろう。教科書通りには飲まない!ってわけではない。
いやぁ、ずーっと観てるのでわかるのだが、このようなローポジでゆったりとした撮り方はすごい。すごいのだけれど、課題で扱う、授業でいやいや観るようなアホ大学生には少し難しすぎるのかもしれないと思う。
あ、軍艦行進曲かかってる!
戦争の話をしながら裏でかかってるのはなかなか面白い演出だなぁ…
……と、まぁこういう感じで映画を観ている。
アニメもこんな感じで観ている。
ちょっと集中しますか。
小津・溝口・黒澤、この中では黒澤が一番若者向きだとは思うが、(逆に向きでないのは溝口だと思う。)一般教養として小津は観ておいていいのかもしれない。
と、雑にまとめておく。
Animax Musix 2016 横浜 セトリ予想 その1
Animax Musix 2016 セトリ予想その1
恥と外聞を気にせず、予想してみました。
誤字脱字などは深夜につき容赦してくださいな。
また、「こんなんどうだろう!」というのがあれば是非ご教授ください。
記号の説明
◎ ほぼ当確。必聴
◯ 可能性高。コラボもありうるので聴いておくといいかも。
△ 可能性は高くはないものの、出てきてもおかしくはない
Akino with bless4
◎ cross the line
『終末のイゼッタ』主題歌。最新曲
◯ Golden Life
『アクティブレイド』の主題歌
◯ 海色
『艦これ』の主題歌にもなったキラーチューン
◯ 創聖のアクエリオン
言わずと知れた名曲
△ エクストラマジックアワー
去年は1曲目だったが、今年はどうだろうか
3曲やるとすれば上3つだろうか。個人的には海色やってほしい。
綾野ましろ
◎ Lotus Pain
Dグレのエンディングテーマで最新曲
◎ ideal white
『Fate/stay night』のまさにキラーチューン
△ vanilla sky
△ infinity beyond
シングルで攻めるならこの4曲。上2つが抜きん出ている印象
井口裕香
◎ Lostorage
ウィクロスの主題歌で最新曲
◎ 変わらない強さ
『ヘヴィーオブジェクト』の主題歌
◯ Hey World
『ダンまち』の主題歌
△ Grow Slowly
ちょっと古いものの、この手のライブで毎回やっている印象がある。私の希望的観測もある。
最近リリースされた2曲が突出。個人的にはコラボに期待大。
内田真礼
◎ Resonant Heart
『聖戦 ケルベロス』
◎ ギミー!レボリューション!
『俺ツイ』主題歌。超楽しいので是非やってほしい
◯ からっぽカプセル
△ 創傷イノセンス
コールアンドレスポンスが楽しいギミレボに期待大。タイアップが中心になると上記4曲に絞られる。去年の上坂すみれとのコラボは最高だった。
岸田教団&THE明星ロケッツ
◎ 天鏡のアルデラミン
同名アニメの主題歌で最新曲。おーおーおー!と叫べる楽しいナンバー。
◯ GATE
◯ GATE Ⅱ
GATEシリーズのどちらかは来そう。どちらかと言うと1の方か。
◯ ストライク・ザ・ブラッド
GATEシリーズの2つをやらねばこのあたりが三番手に挙がる。
△ HIGHSCHOOL OF THE DEAD
黒崎真音つながりでコラボがあるかもしれない。
刺激的なサウンドでここ最近タイアップしまくってるアニメロックバンド。好きです。
黒崎真音
◎ VERMILLION
『ドリフターズ』で最新曲。
◯ 刹那の果実
◯ 楽園の翼
グリザイアシリーズの新作が出るみたいだし、どちらかは期待してもいいのかも。
△ ハーモナイズ・クローバー
△ アフターグロウ
上記2つ『がっこうぐらし』
△ DEAD OR LIE
『ダンガンロンパ』
△ X-encounter
『東京レイヴンズ』
最新曲は確定として、それ以外はなかなか難しいところ。名曲揃いなのでいっそみんな聴くべし。 X-encounterは是非生で聴いてみたい一曲。
でんぱ組.inc
◯ でんでんぱっしょん
私にとってでんぱ組と言ったらこの曲。
△ ちゅるりちゅるりら
△ サクラあっぱれーしょん
このあたりの時代のをよく聴いてた。
◯ おつかれサマー!
最新タイアップ曲の一つ。
△ PUNCH LINE!
アニメタイアップだとこのあたり。タイアップ先が『パンチライン』というこの何とも言えないライン。
なにぶんタイアップが多く、かつCMや映画などと範囲が広いので難しいなぁと言うのが率直なところ。「でんでんぱっしょん」は来そうだが、それ以外だと「おつかれサマー!」がありうるのでは?という印象。
「でんでんぱっしょん」は非常にライブ向きで、やればめちゃくちゃ盛り上がることが目に見えているのでやってほしい。
和島あみ
◎ 幻想ドライブ
『迷家』OP
◎ 永遠ループ
『クロムクロ』OP
デビュー間もないのでどちらか1曲の可能性もあるものの、アニマックスだし2曲やってしまいそう。この二曲以外だとB面になってしまう。B面もいいのだけれどね、「キミへ」とか。
Ray
◎ ♡km/h
『ろんぐらいだぁす』OP
◯ a-gain
『蒼の彼方のフォーリズム』ED
◯ 初めてガールズ!
『わかばガールズ』OP
◯ ebb and flow
『凪のあすから』OP
最近のタイアップ曲が多く、難しいところではある。ebb and flowがお気に入りなのでそれを推してしまうのは許してほしい。
また、黒崎真音に楽曲提供を受けている曲は以下の通り。
契 -この広い広い、時空を越えて-
譫言 -沈みゆく私の-
△ひかり
△始まりの朝
△You're my jewel
ゲームタイアップが多いのでないかもしれない。
つづく
チョコレート臭い深夜1時過ぎ
今思うこと
・エアロ食べてたので部屋がチョコレート臭いです。
・部屋に加湿器が欲しいです。
・1時には寝ようとしたらこんな時間に。
今日は色々とありました。
まず、某ウィンターインターンが落ちてた。
なんか、新規事業開拓についてのインターンだったのに、なにを思ったか現状の事業の発展について(ESだけど)熱弁してしまった。
そりゃあ落ちるわという感じ。
割と凹んだというか、なによりアホなことをしでかしていたので自分に呆れていた。
就活を頑張れる気がしない。
企業で働く自分が予想できないし、モチベーションが上がらない。
このままふわっと就活してコテンパンにのされて世間を恨むのだろうか。
そういえば夏休み明けの就職ガイダンスで、サマーインターン行った人挙手!とやっていて、全体の3-4割ほどだった。インターン行ってるのは意識が高い方なのか?
夏にインターンへ行った俺は意識が高いのか?
わからない。
企業がどうこう以前に、どうも面接やESで評価されるのが自分に合わないと思う。
というか合ってるやついるのかな。
12月にインターンが数社まとめて入ってるものの、これらは正直内定まで行くわけではないし、OBOG訪問はどうしようか。
諸々が面倒なんですよね。
大学・高校入試はテストとかきちんとした基準があったけど、どうも就活はそうではないようだ。
難しいな。ジョブトラとか行こうかしら。
あんまり乗り気にはなれないのだよなぁ。
今日はシナリオ講評もありまして。
先生に「君は不思議な女の子と出会って…っていう話が好きだねw」と言われてしまい非常に恥ずかしかった。きゃー!って感じ。
さもありなんとは思ったけど、自分でも気づいてなかった。
オタクだししゃーない。
無念のオタクばれ。
でも、女の子が最も魅力的なのって、顔見知り以上友だち未満の時だと思うんですよ。
友だちになっていく過程とか、話して話しかけられて…ってやってるうちが華だと思う。
華とは言うけど、恋人になった2人がまたなんか初々しく笑いあうみたいな演出も好きなんだよな。
パッと思いつくところだと、『化物語』の「戦場ヶ原、蕩れ」っていうところ。戦場ヶ原さんの結局デレるところがたまらなく好きなんですよね。あーーいうキャラがいるのといないのとでは違う。
脱線するのもお構いなくいくけど、
私は、可愛い女の子を決める要因はその外面とかではなく、動作や所作にあると主張したい。
これは男子校だった高校時代より主張して止まない「夏服より冬服論」*1の次くらいに主張したいこと。
両方ともはいつか個別で述べたい。
家訓にしたい。
動作や所作に豊かさやキメの細かさがある人は必ず可愛い。外面だけの可愛さは作れるが内面の可愛さは無理。
男子諸賢は女の子の動作を見るべし。
1時過ぎにこんなことを言う奴の頭がどうかしてるとは思うが、
・就活に道筋を立てる工夫をせねばならない。
・「不思議な女の子」には敢えて真っ向から立ち向かってみる。
・女の子の良さは所作が決める。
今日感じたのはこの3点でした。
*1:「夏服や水着など、露出に固執する人間は局部に脳味噌のついた猿である。」とする非常に過激な論派です。
唇にブツブツができた
ヘルペスなのかただの発疹なのかもわからない。
ここ最近本当に忙しく不規則かつ不摂生な生活をしてきたからだろう、免疫力の低下で唇にブツブツができた。
忙しいというのはある意味で充実しているわけだが。
そういえば、こないだの月曜は特に充実していた。
3時30分 課題の映画を鑑賞し、就寝
9時00分 起床
9時30分 課題の映画鑑賞(上記とは別作品)
12時00分 映画鑑賞終わり、登校
13時15分 3限-5限
18時30分 授業終了、図書室にて課題
20時40分 発のスクールバスで帰宅
22時00分 帰宅
23時30分 就寝
7時00分 起床
なかなか。
まぁそんな忙しくなくね?と言われたらその方の忙しい自慢を甘んじて受けるとして、その辺の大学生にしてはかなり真面目マンなのではなかろうか。9時30分から20時40分までほぼ勉強してたし。
3限のヒステリック先生の授業は寝たが。
また、この日の晩御飯まで、朝のヨーグルトと5限前に食べたネギトロのおにぎりだけで乗り切っている。昼を食べる時間がなかった。
正直、食欲より睡眠欲な自分には、食に対するウェイトが小さい。これは課題。
そんなこんなで、ヤツの新型が発売された時の口角炎以来の唇のトラブルである。
私は従来よりぶ厚めの唇を恥ずかしげもなくくっつけているが、*1ここまでトラブルが続くとは思わなかった。
そもそも、割と無理をするのは個人的に案外好きで、*2多少の無理はまったく無問題だった。潜在的社畜力は非常に高いと思う。「君にしかできない」とか言われたら尻尾を振って出て行くのが私という人間である。
昔とは無理の度合いが増してきてしまったのだろうか。
最近ではアルバイトでも新人がたくさんやってきて、職権は低いが経験や知識量で(新人よりはさすがに)優位な私が出て行くことが多い。知識量というかカンカンな人の矢面に立つような仕事なんだけどさ。
私個人としては、まぁ仕方のないことだし、アブノーマルなインシデンツに対し、適切なソリューションを提示するプロセスは嫌いではないのだが、今度からは少し考えないといけない。
ここ最近のインターンやら就活やら、人の話やらで思うが、多くの人を上手く活かして仕事を回すのがより良いリーダーらしい。
そういう見方をすると、上記のようにドカドカと出て行って自分でばばばっと片付けてしまうのはリーダー向きでないのかもしれない。
昔から少人数でぶん回すのを生業にしてきたので、無理をするのはまったく問題ないが、仕事を人に振り分けるのは下手くそである。
あー!もういい!俺やるからそれ!となってしまう。
リーダーにはなれずともいいコマにはなれるだろうか。
いやいや情には篤いし。西郷隆盛みたいなリーダーに。
……無理だな。
……まずは唇を治そう。
関係各位には誠に申し訳ない事態になってしまったのだから。
ハロウィンに想いを馳せるオタクの戯言
ちわっす。お久しぶりです。
まぁ見てる人はほとんどいないんですけど。
授業と諸事情により、ドラマやアニメの全体構成をお勉強する必要がございまして、そのためにいくつかの1話を観ておりました。
ツカミってのは重要だよね。勉強になるなあという思いとは?よく出来過ぎだよ無理だわハイレベルすぎ!という思いと綯い交ぜになっております。ないまぜって綯い交ぜなんだね。
シュタゲの綯ちゃんいいよね。
と、まぁ11月なわけです。
ハロウィンも終わり。
渋谷や道頓堀では百鬼夜行だったようで。
TLに僅かに残ったパーティを楽しもうとする方々(皮肉じゃなくて)は楽しんでいた。
仮装してはしゃいだらそれはそれで楽しいわな。
で、ハロウィンの仮装で色々と考えていたんだけど。
話は夏に遡ることになる。
夏、所用で関西学院大学のオープンキャンパスに行くことになり、
(あの西欧風のキャンパスはすごいね。丘の上だし「上流階級」って感じ)
体験授業を受けていたのだけれど、
「ユニバはなぜディズニーを超えたのか?」という講義だった。
ユニバーサルスタジオジャパンをユニバと略し、(関東ではUSJ)(ユニバのニにアクセント)。かつ謎の対抗意識がいかにも大阪っぽいなぁと思いつつ、受けていた。
まぁ体験授業だし、なんともふんわりとした馴れ合いのような授業が続いたなかで、教授が3Whyを使って「なぜユニバに行くの?」の問いが面白かった。
3Whyがなんなのかは説明しないけど、わかってくれると思う。
教授「なんでユニバに行くの?」
女子高生「行くと楽しい思い出になるから」
教授「なんで楽しい思い出になるの?」
女子高生「……仮装とかできるから」
教授「仮装!なんで仮装すると楽しいの?」
女子高生「いつもと違う自分になれるから」
とまぁやってたわけだけども、仮装する理由の1つとして、「いつもと違う自分になれるから」というのがあるらしい。
いつもと違う自分かぁ、と私なんかは考え混んでしまい、その後の女子高生の答弁は全く覚えてないのだが、
いつもと違う自分ってそんなに楽しいのかな。
高校の文化祭の時、ピカチュウのパジャマみたいなのを着てダンスした時、別にいつもと違う自分の高揚感みたいなものはなかったから。
考えてみますか。
(勉強ができない、知識が不足していることが馬鹿じゃなくて、考えないことが馬鹿だと思います。考えましょう。)
考えましたでしょうか。
色々と自分のなかで考えて行くうちに、ある結論にたどり着いた。
「結局、いつもと違う(違ってしまっている)自分が恐ろしい」
なんというか、自分は自分であって!という思いが強すぎて、変化だったり変解だったりが恐怖の対象になっている。
自分の髪型は大学生のクセに高校の時から変わらぬ黒髪だし、大学生デビューをした気持ちもない。変わらないことが重要だった。変わることが怖いのだと思う。
染髪するのが面倒とか、金がかかるとか、そもそも茶髪が似合わないとか、そういうのの高尚なバージョンの言い訳じゃないよ。
話をまとめます。
もし、いつもと違う自分になれる。ことが「特別になる」という意味ならば、逆にいつもの自分はまったく特別ではないのだろうか。
上から目線で物を言うのがここのしきたりなので言うが、仮装なんかで変われてしまう自分は本当に自分なのか疑わしいと強く思う。
パリピもいいけど、もっと自分の存在そのものに強く関心を持ってあげてほしい。
例えば、自分を語る要素に、他人への依拠が必要な部分が大きすぎやしないか?とか。
それに関連して、男に振られてすべて失う、何かに失敗してすべて失う欠陥建築みたいな自分ではないだろうか?とかとか。
こういうのを割と自分に求めているところはある。「お前は誰だ?」って。
自分に対してメンヘラなんだよな。キッモ
もちろん、人が何かのリアクションで変化していくのは至極当然なことだし、それが学習であったり、経験であったりする。
別に仮装とか、染髪とか、メイクとか、コーデとかとかとかとか、まったくもって変化なんかではないのだ。そう言いたいだけ。
「いや、そこまでの変化じゃないよwww」
そうなんだけどさ、そういう風に思ったからさ。
おわりに
ハロウィンの仮装程度でここまで考えてしまうオタク気質は根っからなので仕方ない。
そして自分が「変わらないね〜」と言われすぎてむしろ誇りにしてしまっているのも仕方のないことだ。
さらにいうとオチもなにも考えてないので話が二転三転していくのも仕方のないこと。
もう朝だ。
ハロウィンを純粋に楽しむには自分の思考がノイズになる。
ハロウィンをバカにするのももはや何番煎じかわからない。それに、全力で楽しんでいる人たちに水を差すのはそれこそ愚だと思う。
結局、家の中でドラマや映画を観まくってうーんうーんと頭をひねっているハロウィンになった。
トリックオアトリート?
誰でもいい。誰か僕のプロットに良さげなトリックを仕掛けてくれ。
メッサーシュミット
麻雀を高校の同級生と嗜み、家でアニメを観る。
麻雀で初めて大きく勝ったのでなかなかいい気分。親で跳ねまくり、最後は飛ばしたので最高値は86300点を数えた。引きが恐ろしくよかったので明日死ぬかもしれない。裏や赤いのなしにドラ4とか考えられないし、追っかけたらほぼ必ず勝てたし。まぁ上手くなってるというか幾らか慣れてはきてるとは思うのだが、純粋にツキが回ってきているようだ。
アニメは今期のものをいくつか。それぞれ面白く観ている。
『終末のイゼッタ』はもう少し色調をダークな感じにした方が俺好みだよなぁと思う。もうそれ戦争映画じゃん!と言われたら反論できないけど。
色彩設計とか面白そうだよなぁ、かっこいいなぁとか思うが、まぁ、なんというか多分専門でやり始めたらそれはそれで大変なのだろうと思う。音声や照明に最近興味がすごいのだけれど、それもまぁそういうこと。
明日は2-4限で3限以外休講である。とはいえ、3限自主休講にせずに普通に出ようと(現時点では)考えてるので、そのようにしようと思う。
久々に書いたが500文字も書けなかった。おやすみ。
アニメレビューショウ『聲の形』
題の通りですが、『聲の形』を観てきました。
素晴らしい作品でした。
「寸分の狂いもない」
京アニは山田監督を意地でも手放してはいけませんね、というのがまず一つ。
ローアングル、視点ショットの多用、絞りや光量を思い切り飛ばす演出、実に挑戦的です。視点ショットは何本あったでしょうかね、最後の方なんか視点ショットにしてさらにぐるぐるやってましたからね。これだけ自由の利いて、かつそれを象徴的に作用させる余地のあるのが、アニメのいいところなのだと思います。
個人的に好きなのはケータイ電話の使い方でした。使っていたノートは過去のものとして一度置いておいて、新しい会話のツールとしてのケータイ電話は実にスマートで不可欠な存在です。アドレスを知ってから物語が走り出していく感じがして好きだな、と思います。
キャッチーな(というと語弊がありますが)手話の提示もよかったと思います。「またね」「友だち」などがそれにあたりますが、とくに最初の「またね」は素晴らしかった。観客に対して「またね」が時間差で提示されるって上手いというかズルいですよね。
そして、劇中でわかるような簡単な手話もある一方で、「わからない」ポイントもたくさんありました。手話だけが提示されて、どういう会話をしているのかわからないシーンです。こういうセリフなしの会話が登場人物のなかで交わされる作品はあまりないと思います。思いつくことだとせいぜい内緒話くらいでしょうか。観客を敢えて置いてけぼりにさせることで、後述の「わからない」感をより強く打ち出すことができたのではないでしょうか。
原作を読んだ身としても、映画化するにあたってここはいらないだろうな、という要素が見事にすべて抜かれていました。寸分の狂いもないシーンの数々です。無駄なものなんて何もなかった。???というポイントが何もなかった。
音楽の話
まず観始めた時、音楽に違和感を覚えました。ちょうど小学生のシーケンスですね。当初、あ、これはミスマッチなのかな?と思っていましたが、そんなことはありませんでした。
ドイツの劇作家・演出家にブレヒト、という人物がいます。彼は「異化効果」を唱えました。本来、私たちは物語に接するとき、その登場人物であったり、場面であったり、色々なものに感情移入します。
もし、「いい作品」の条件とは?と聞かれたらどう答えるでしょうか?必ず何人かは、「感情移入できる」あるいは「物語に没入できる」と答えるはずです。
ブレヒトはそこに異議を唱えました。「没入」の反対として「異化」を示したのです。観客と舞台の人間を一致させるのではなく、観客を観察者として据え置き、舞台はまた別の物として文字通り異化させるわけです。
序盤の音楽は異化を狙ったのではないだろうか?というのが私の考えです。私たちは西宮さんに感情移入してはいけないのです。石田にも、誰にでも。小学生の西宮さんのアイデンティティは聾唖者としてのアイデンティティなわけで、そこへ私たち観客が感情移入しようだなんて、考えてみればおかしな話なのです。
「わからない」
西宮さんに対して抱く、「わからない」という気持ちが重要なのです。西宮さんと私たちは完全に異なるものなのですから。
「わからない」人を見ると、人間はイライラします。これはもう仕方のないことなのですが、そういう気持ちを代弁してくれるのが植野というキャラクターです。私は植野が大好きです。彼女がいなければこの映画・漫画はかなり違ったものになっていたでしょう。私たちにとって数少ない「わかる」キャラクターだからです。私たちは植野に対して反発の気持ちを抱きつつ、ただ一方でわかってしまう苦しさがあります。「人間くさい」を超えて、あれは私たちです。
そういう意味で、ブレヒトのように私たち観客を観察者として置くとどうなるでしょうか。
そうです。観客は一歩引いて考えることができるのです。自分の小学生の頃、いじめられた記憶、いじめた記憶、見過ごした記憶。
これらの感情や記憶は、登場人物たちとは少し異なるけれど、私たち誰にでもあることを確認することができる。この確認で、後半からクライマックスにかけて、西宮さんや石田を感情移入、というよりはある少女と少年の物語としてしっかり見届けることができる。
これは非常に卓越した眼差しです。
もし、泣いた方がいるとすれば、それは聾唖者の女の子や、いじめられた男の子に対する「同情」の涙でしょうか?そんなことはありません。強く生きた彼らのその生き様に涙しているのです。
音楽の話から、主題に切り込むというのは初めてなので歯がゆい思いがあります。色々と付け焼き刃稚拙なのは言うまでもありません。ただ、「聲」がテーマになっているだけあって、音や音楽には非常に気の使われた作品だったと思います。ラスト、私はあれだけ感動的な「対話」のシーンは初めて観ました。「告白」「独白」ではなくて、驚くべきことにただの「対話」なのです。これはものすごいことです。
そういう批判があったらしいので、無理やりに「感動ポルノ」の話を照らし合わせると、私の指摘した主題を見れば違いが一目瞭然なのがわかります。「感動ポルノ」はああ、かわいそう、こんな人を助けてあげないと!という視点が必要になります。募金してもらわないといけないわけですから。
ただ、この作品は異なりますね。一々言うまでもありませんが、西宮さんは聾唖者というアイデンティティ以外にもたくさんの側面があります。耳が聞こえないということ以外は普通の女の子なのです。
ですから、視点として提示するならば、助けてあげないと!というよりは、普通の女の子として、普通の高校生のちょっとドラマチックな日々に対する暖かな眼差しなわけです。
ここまで書く理由として、まぁ『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という漫画がありまして、とある会社への企画書のために読んだ作品が一因となっています。
かの作品は吃音症の女の子の話なのですが、「どもり」や「吃音症」という言葉は一度も出てきません。つまり、「どもり」の話ではないのです。安っぽい御涙頂戴なんてやめてしまえ!
ということを熱弁したら落とされたので根に持っているだけなのですが、それとは別に、映画でもなんでも、「人間を描く」ことをまず最初に捉えなければいけないと強く再認識しました。
とてもいい作品でした。たぶん劇場でもう一度、さらに何度か観ることになると思います。