笑うことについて
中学時代の教師にすこし変わった人物がいた。
授業で丸々映画を観たり、テキストにマンガやアニメのキャラクターを起用したり、変なニックネームを使ったりと、すこし不真面目なイメージが親近感を呼び、随分と生徒に人気があった。自分はもう少し真面目にやってくれないかな…とクソ優等生ぶっていた。
ある日、授業内で映画を観ることがあった。
もちろん洋画で、『俺たちフィギュアスケーター』*1『ジュマンジ』*2と言ったラインナップだった。
なかなかのチョイスである。確か他の候補だと『バタフライ・エフェクト』*3とかもあったと思う。
その日は『ナイト ミュージアム』だった。
『ナイト ミュージアム』は有名な映画だ。
夜の博物館に警備員として入った主人公。だが、その博物館では展示物の数々が夜になると命を吹き込まれ、動き出す。
でコメディあり感動ありのいい映画で、続編まである。
もちろん(?)吹き替えではなく字幕で観るのがお決まりで、コメディ映画なのもあってみなケラケラと笑っていた。
映画の上映が終わった後、その先生が締めるように話したことが印象的だった。
今君達はよく笑っていたが、人はいくら面白いものがあっても、その面白さを理解する頭がないと笑うことはできない、というものだった。
それもそうだ…と少し考えさせられたのを覚えている。
パロディなんかが最たるものだが、まず元ネタがわかっている知識が必要で、さらにそのシーンとの類似性を見抜く力がいる。そしてそれをシャレとして受け取り、笑う力。
『ナイト ミュージアム』では歴史ネタがよく出てくる。古代ローマ、西部開拓時代、セオドアだったかフランクリンだったかルーズベルトの話。
なかには『テッド』*5のボストンネタ*6のように、日本人の感覚には少し難しいものもある。
ただ、その中で笑える、というのは案外高度なことをしているのかもしれない。
ハリウッドにとっては海外の、それも文化も人種も異なる極東の中学生にすらわかる面白さはさすがハリウッド!という感じだし、翻訳や(今回は違うが)吹き替えで面白くしようとする裏方の人の仕事もまた確実に無視できないものだ。
そういえば『ナイト ミュージアム』も3はまだ観ていなかったし、今度観てみるのもいいかもしれない。
*1:全米でヒットしたスポ根コメディ映画。ナヨナヨした男とセックス依存病の男がフィギュアスケート「ペア」をやる映画。
*2:これも有名な映画。止まったマスのことが実際に起きる不思議なすごろくの話。
*3:タイムリープものの大家。主人公はタイムリープを繰り返しながら過去を変えていくが、その影響で変わってしまう未来と葛藤していく話
*4:そのトークするベイビーがブルース・ウィリスの声。この面白さがわかれば好きだと思う。
*5:テディベアがノラ・ジョーンズとセックスした設定になってるすげぇ映画
*6:アメリカンフットボールのチーム、ニューイングランド・ペイトリオッツのロブ・グロンコウスキーのネタを持ち出したりと、ボストン以外にもそれはそれはものすごい量のパロディがある
ある冬の日のインターンの話
6月になり、自分の次の世代の就活が始まった。
「サマーインターン」という懐かしワードに触発され、冬に行ったインターンの話をしようと思う。
就活がいよいよ始まるという2月の中旬、私は1日限定のインターンに参加すべく東京にいた。
スーツだけではまだ寒く、私はコートを着ていたが、当時はスーツ用のコート*1を持っていなかったので大学に着ていくような普通のコートを着ていた。
時間は集合10分前。受付に向かうと女性社員が立っていて、グループワークの班に案内してくれた。
スーツ用でないコートが大量の毛玉を出し、脱いだ時には毛塗れのスーツに閉口しつつ、バシバシとスーツを叩きながら自己紹介をする。
「○○大学、○○です。今日はよろしくお願いします。」
特別変わったことは言わなかった。
すると、班での自己紹介はまだだったようで、左隣の女の子が自己紹介をする。そのまま時計回りで自己紹介をしていく。総勢7名。
斜向かいの男の子は大隈大学だそうだ。
大隈大学*2の友達は多いな、と考えていると、他の班のお喋りが聞こえてくる。
「どこから来たの?」「私、千葉」「えー!私も千葉!千葉のどこ?」
その話膨らましてなにが面白いのかなぁ…と考えていたら前で社員が喋りはじめた。
インターンが開始された。
先ほどとは異なる側のお隣、つまり私の右側にはこれまた女の子が座っていた。
美人である。*3
大学のランクは周りの人間とは少し落ちるものの、スーツ姿になんとなく気品を感じていた。
人間、育ちは存外出るものだ。
文具の質、文字の書き方、書く時の姿勢、
所作の丁寧さやその意味の有無など、無意識だがしっかりと人が出てくる。
グループワークが始まる。
詳しくは覚えてないが、データを基にクライアントへの提案・発表を行う、というものだった。
始め、の合図とともに大隈大学の彼が話し始める。
どうやら彼はイニチアシブ*4をとりたいらしい。
イニチアシブはいいが、優秀な人がやらねば全く意味のないものになる。
…でも大隈大学か、優秀なのかな。
ライバルになるような学歴の人間はいないし、 彼に任せることにした。
私は配布されたデータを基に、まずは議論の路線を提示することにした。
だが、半分くらい話したところで必ず大隈大学の彼に遮られてしまう。
「あ!!うん!!そうそう!そのデータが…!」
いいから聞いてくれ…
やりとりを3回くらいしたところで、私はもう嫌になっていた。やりたい人がいるなら任せよう、敵視されて意見を通されないくらいなら大人になろう、な?と、自分に言い聞かせる。
ふと、右側の女の子を見てみる。
手元のデータの見方に四苦八苦しているようだった。
失礼かな?と思いながら横から、簡単に説明する。職業柄、説明するのには慣れているからだろうか、しっかり伝わったようで、感謝された。
一瞬、缶コーヒーを例に持ち出して説明をしようとしたが、もしめちゃくちゃなお嬢様で、「あら、私、コンビニエンスストアは使ったことがなくてよ。いつもお父様が淹れてくださる、現地で豆からこだわったグァテマラ産のコーヒーしか飲まないの」とか言われたらどうしようかと思ったが。
…杞憂だった。
とても感謝された。
美人に感謝されるに吝かでない。
とはいえ、データを読み取れないのは女の子にとってもツラいだろう。
議論はデータをもって進められる。そのデータを読み取れないのは議論の基盤についていけないことに繋がり、つまるところ落伍を意味する。
そうなると彼女は今日ここに来た意味はなくなるわけで、その労力も、金も、化粧も、心の準備も、まったくの無駄になる。
それはかわいそうだ、と変な視座から考える。
私はもう完全に風見鶏を決め込んでいたし、説明の間に他の5人で議論が進んでいて今更話を聞くわけにも戻すわけにもいかない。
無駄にしつつあるのは自分の方だとも思った。
この1日、この美人に賭すか…とかアホなことを考えていた。
私は彼女を援護しつつ、(自分にとっては)控えめな態度で意見を奏上した。言いたいことはいくらでもあった。議論の進め方、発表用模造紙のデザイン、そもそもの結論、不慣れなグループワークにストレスを感じる。
なんやかんやあって、女の子は模造紙へ文字を書く役割を担えたようだ。
字は特別綺麗ではなかったが、要所要所を締めた実に読みやすい字だった。
大隈大学の彼はと言うと、発表をする役割に立候補し、発表用原稿を書いていた。
「何か手伝おうか?」と訊くも、無視。
俺が一体何したんだ?と困惑するしかなかった。
結局、なんの役割も担えなかったのは自分だった。
発表は滞りなく終わった。
そこまでいいものではなかったが、他の班も大概で、企業側もまぁこんなもんだよな、という反応だった。
世界一適当な「お疲れ様でした」がグループ内で飛び交う。
プレゼン発表を見ていていつも思うが、わずか5分ばかりの発表のなかで、前半と後半で発表者をわけるのは意味がわからない。
代表者(発表者)は1人で十分だと思う。
なにより時間がもったいないし、聞く方は前半と後半で分業がなされていて、各々の部署から代表者を1名ずつ立てたのかな?と感じる。もし後者ならそれはグループワークの意味がなくなるのだが。
結局、どうも茶番のような形でインターンが終わってしまった。
企業側も学生側もマイナスなイメージを持たれたくない。そうすると自然と生温いものになる。
残念だな、と思いながら班員に挨拶し、もはや居心地の悪くなりつつあった自席からそそくさとビルの外へ出ると、もう夜になっていた。
ビル群の夜は嫌いじゃなかった。
寒いな、とコートを着ていると、先ほどの女の子が遅れて出てきた。
私と目が合うと「お疲れー!」とこっちにやってくる。
表情だけでリアクション。
とっさのことで、声はなかなか出てくれない。
やっと、「駅、向こう?」と訊く。
どうやら同じ駅のようだ。一緒に歩き出す。
先ほどの班で左側にいた女の子が視界の隅にチラッと見えた。
……見えただけにした。
インターン会場は幾つかの駅の間にあり、アクセスそのものは便利だったがそのぶん各駅までは少し歩くことになる。
駅までは話す時間が少しある。
インターンあるあるだろう。
女の子は思っていたより多弁で、色々と話してくれた。
広告代理店に勤めたいこと、姉がいて、ブラック企業に入社してしまっていたこと、サークルのこと、学校のこと。
なんとなくお嬢様なのだな、と重ねて思った。
余裕があるし、初対面の人に自分の家族の話をするのはなかなか珍しい。
表現しがたいが、「自分という存在が好意的に受け取られている」ことを前提にした話し方だった。
美人なのもあって、話すのは楽しかった。
興味の分野も共通するところはあり、合わせていくと本当に色々と話してくれた。
ところどころ住んでいる世界が違うな、と感じるのもまたよかった。
アインシュタインよろしく、*5楽しい時間は過ぎ去るもので、駅に着いた。
女の子は「○○行きだよ」と話す。○○はセレブな街で有名な場所だった。東京の西の方へ行くらしい。
なるほどな、と思いつつ、同じように答えなければならなくなった自分の行き先を呪った。
行き先となる埼玉の北の方の地名はどれも田舎臭い。
終点となりそうな北の方でなくても、全体的に埼玉感が出てしまう。
ひとしきり悩んで、「北のほう」とだけ言っておいた。
なんだそりゃ
言ってからなんだか古いドラマみたいだな、と思った。*6
私はご飯に誘ったり連絡先を聞いたりする不埒な輩ではないので(勇気もないのだが)そこでお別れをした。
なんとなく不思議な気分だった。
就活をしていると、色々な人々の人生に出会う。
ほとんどが一期一会だが、それぞれの出会いが実に小さいながらもお互いに影響を及ぼしあっている。
出会いが云々と高説垂れる気はないが、人生のすれ違い、残像を重ねるようで面白い体験だった。
結局、そのインターン先の御社はエントリーしなかった。受ける業種も異なるので、班員やあの女の子とはもう二度と会わないだろう。
一期一会とはそういうものだが、悪い気持ちはしなかった。
ただ、コートをもっとキチンとしたものにした方がよかったかな、と電車に揺られながら考えるのだった。
*2:わかるとは思うが、クマがマスコットで高田馬場にある大学のことである。スクールカラーは臙脂色
*3:実際には「うっわ!かわい!」という反応
*4:この場合、マウントとも言う
*5:アインシュタインは構築した相対性理論に関して、「熱いストーブの上に1分間手を当ててみて下さい、まるで1時間位に感じられる。では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう、まるで1分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性です」とのユニークな言葉を残している。出典はWikipedia
*6:具体的には『あまちゃん』の「潮騒のメモリー」の一節、「北へ帰るの 誰にも会わずに 低気圧に乗って 北へ向かうわ」の部分、そしてそのパロディ元の「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)「高気圧ガール」(山下達郎)。
中学の夏の思い出
中学生の頃、サマーキャンプのようなものに行ったことがある。
確か青少年赤十字が主催していたもので、県内の中学から2-3人くらい参加していたと思う。
自分は内申点*1が欲しかったのと部活をサボりたかったのとで、二泊三日だかそれくらいのサマーキャンプへ行くことにした。
埼玉県の加須市だったと思う。長閑な風景と、広義には青少年の倫理保護のために設置されたポスト*2が印象的だった。
自分の学校からは自分と、同じ部活の仲間1人、そして別にもう1人参加していた。
アイスブレイクから始まり、赤十字主催だけあって、数多くのアクティビティが用意されていた。
特に取り上げるまでもなく、授業はつまらなかった。
みなが無償の愛だとか、ナイチンゲールだとかマザーテレサだとか色々と言っている。大人たちは目をらんらんとさせて生徒たちに自分の理想を語るのだった。
自分自身そもそも奉仕の精神が皆無であり、ボランティアなど糞食らえな人間に言っても馬の耳に念仏*3である。
とかくつまらないものだった。
また、アクティビティがあるわけで、つまりはグループというものがあった。
自分のグループはまずまずよくやれていたと思う。
当時の自分は初対面の人といきなり上手くやる手腕がなかったから難儀していたが。それでも話せば仲良くなることはできるので、一度距離感を掴めば簡単だった。
そして中学生が一定数集まれば当然のことだが、カーストが形成される。
久喜の人だったか、一目でそれとわかる野球部の人が3人。
彼らがお山の大将だった。セクシャルアピールの強い個体*4がお山の大将になるのは自然の理である。
自室に女子を呼び、大声で話して、叫んで、静かになったと思ったらいちゃいちゃしていた。
中学生なんてそんなものだ。
当時の自分はそういう人種を毛嫌いしていた。
自分にはできない、という嫉妬も混ざっていた。
「誰と誰が手を繋いでいた、ケータイを使ってこんなことをやっていた」
ウェイに追い出され、泣く泣く自分の部屋に来た部活の同級生の愚痴に似た報告を聞く。
2人で2段ベットの上に寝転がり、薄汚れて所々シミになった天井を蹴りながらお互いの境遇を慰めあった。
ベッドの下から大富豪*5に誘う声が聞こえる。
結局、配られたカードで勝負するしかないのだ。
アクティビティには色々種類があり、キャンプの参加者は皆何かを企画し、主催することが義務付けられていた。
施設にあった将棋を使って将棋大会をしたり、ダンスを踊ってみたり、みな思い思いに楽しんでいた。
野球部は朝の筋トレを企画していた。
いっちにっ、さーーーん
という全国の野球部伝統の掛け声とともに、いち、で右足を横に出し、に、で左足を横に、さーんでスクワットする、ということを何十回かされた。
広場の参加者たちはキツいキツいといいながら朝の運動に顔を綻ばせている。
自分は運動こそ嫌いではなかったが、気にくわない連中の掛け声でスクワットするのに最後までいい気がしなかった。
結局、自分は企画・主催をしなかった。
何人かいた大人には注意をされたが、ずっと無気力な態度を取っていたからだろうか、あまり深く言われることはなかった。
グループでも最後のプレゼンが控えていた。
プレゼンは昔から得意で、ペープサートを使った発表はそこそこの評価を得た。
グループのメンバーにも色々と感謝された。
自分には頭をひねることしか能がなかった。
最終日の朝、キャベツの千切りにサウザンアイランドドレッシングをかけながら思う。
結局、なんだったのだろうか、と。
赤十字という看板のもと、宗教じみた授業とアクティビティの数々。
自由時間はウェイが跋扈し、うだつの上がらない自分らは何も言わず大富豪に興じる。手札にエース以上の札が来ないことを嘆いてはいけない。
自分が得たものは、結局自分はそういう雰囲気に乗っかることのできない人間だ、という認識。
一歩引いて考える。「意味のあることか?」
それが空気を悪くすることだってことは知っている。だから1人で悶々と読書をする。
あまりに悶々と読書をするもので、施設に置いてあったナイチンゲールの評伝を全て読みきってしまった。
最も面白かった場面はどこか。
それはナイチンゲールが従軍したクリミア戦争に於いての、戦闘の様子が仔細に描写されたシーンだった。
クリミア戦争に於いてロシアはその後進性が露呈し、改革を余儀なくされ、ヨーロッパの盟主だったオーストリアは外交の失敗から落日の色を見せる。
自分も改革が必要だろうか、付き合い方に問題があっただろうか…
そんなことを考えていたかは今となってはわからない。
だが、白衣の天使に興味を持たず、戦争の描写を嬉々として読む自分はつまりそういう人間だった。
それでいい。
今でも思う、満足だ。
1年が経っただろうか、ある日、当時のグループのメンバーとばったり遭遇した。
うだつの上がらない大富豪仲間だった。
1年くらいでは変わらない。
相変わらずうだつの上がらない奴だった。
今となってはもうわからない。
【没ネタ】『氷菓』実写化をポジティブに捉える思考実験
【没ネタ】です。諸般の事情により(だいたい飽きたとき)下書きで死んでいたログを発掘して没ネタとして供養しようというものです。時期など全く無視しています。ご了承ください。
『氷菓』が実写映画化されるようです。
監督は『リアル鬼ごっこ』シリーズの安里麻里監督。
スタッフ・キャスト
まずは監督の話から。
安里麻里監督のフィルモグラフィを見たが、見たことのある作品はなく…(´・ω・`)
正直興味を惹かれるものもなく…。
アンリ・マリさんなんだよね、Fateファンならわかるかな
ただ、映画史的な怪作『ソドムの市』*1のリメイクをやっていたり、『リアル鬼ごっこ』シリーズをやっていたりするあたり、ホラーやサイコ物を得意とする監督さんかなぁという印象。
『氷菓』はサイコホラーになってしまうのだろうか?笑
次、キャスト。
山崎賢人がどうも好きではない…。
とってもかっこいいと思うし、女子高生に異常にウケがいいのは納得できるが、正直そんなに上手くないと思う。
折木奉太郎は省エネの捻くれ者で、「そうですか」を「さいで」などと言うタイプの人間である。
山崎賢人はどうも昨今によく見られる控えめな男の子の役が多い。*2つまり、今流行りのジャンルというか雛形によく合った俳優なのだろう。
千反田えるが話を引っ張っていく『氷菓』の大枠は、山崎賢人の得意とする(得意というかよくやっている)主人公像に近いが、その中でも少し(かなり)捻くれた折木奉太郎をどう演じ分けるかが重要になってきそう。
「問題は、」と千反田える原理主義派*3の方々は言うだろうか。
うーん、「似る」必要はないけれど、もう少し「深窓の令嬢」感が欲しいところだった。
彼女は土地では有名な豪農の娘で、いわゆるお嬢様なわけだ。そして「遠回りする雛」で言及されるが、*4土地の豪農という生まれから来る将来への諦めというか、もう道筋が見えてしまっている苦しさ、みたいなものが描かれる。
そう、ただ可愛いお嬢様なわけではないのである。
千反田えるが物語のエンジンの役目を果たし、かつ物語そのものの核心を突くかなり大きな存在であるのは疑いようのないところだ。
脚本
最も「気になる」のは脚本である。
原作はシリーズ化されており、『氷菓』は短編集の体裁をとっている。
アニメ版での成功がどうしても付いて回り、*5自分はせいぜいドラマ化だと思っていた。
映画となると、尺は2時間とそこら。三幕構成としてどこまでやるか?という問題が生まれる。いくつか案を出してみる。
1. 『氷菓』のみ
カンヤ祭の由来を知るところまでの話になる。アニメ版だと1-5話。1話あたり正味20分として、1時間40分。少し短い。アニメ脚本と映画脚本はまったく別物で、アニメの方がセリフやカット割りの頻度が高い印象がある。つまり、まったく同じ内容をやるとすれば、実写版ならもう少し長くなるのではないか。
もし、エピソードを足すとすれば、(オリジナルは置いておいて)『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』なわけだが、これらは文化祭を題材にしているわけで、カンヤ祭のエピソードがないと文化祭そのものの背景が薄れてしまう。
でもまぁカンヤ祭の意味で終わるのは明らかに盛り上がりが欠けてしまいそう。
2.『クドリャフカの順番』まで
これはもうめいっぱい詰め込んだ形。駆け足!駆け足!という感じになりそう。
無理でしょう、要素が多すぎてパンクします。
絶対無理です。試しにプロット書いてみて欲しい。
3. オリジナル
嫌だなぁ、というところ。怖いじゃないですか。
恋愛の要素をどの程度入れるべきか、入れるとして告白だとか実際の行動に移すか否か。
そもそも『氷菓』はミステリーである。米澤穂信のちょっと若い感じの文書がいい味出してる話で、恋愛要素はあっても、それは成就するしないの話ではなくて、友達以上になってしまうのか?という人間関係で一番難しくて面白い関係をあくまでたくさんある要素の中の一つで書いている。
つまり主題ではない。要素。
ご飯じゃなくてふりかけ。
とここまで書いて飽きたので没ネタになりました。
『氷菓』はどうなるのでしょう?
3月9日
ひっっとぉみぃおーーーーとじぃーーーればぁーーーーあなーーーーーたがぁーーー!!!!!!
レミオロメンのお陰で特別な日になった3月9日。
正直超好きですが。
今日は3月10日ながら、昨日は就活生な1日だったので、このブログ本来の目的である備忘録(忘備録?)と洒落込もうと思う。
7時 起床
就活生の朝は早い。7時に目覚ましをかけて、15-30分後に起きるのがマイスタイル。作家性。
9時 御社着(1社目)
錦糸町の方にあった御社へ。東武スカイツリーラインで一本。就活していて思うが、半蔵門線と日比谷線に乗り入れしてる東武スカイツリーラインはすごい。名前だけちょっとどうにかしてほしい。
11時30分 御社発
説明会と座談会の後、解放。ツイツイしつつ、駅前をぶらぶら。腹減ったな…と孤独のグルメぶりながら立ち寄ったのは肉そばのお店。
こいつ。
800円くらいかなぁ。肉がすごかったです(小並感)
かなりお腹いっぱいだったので腹ごなしに一駅歩く。
……が食後の運動に慣れてなかったお腹が痛くなる
13時30分 御社着(2社目)
神奈川県へ。15時から始まる説明会だったが、かなり早く着いてしまった。駅ナカのカフェで一杯お茶することに。
文章にすると優雅だが、実際は花粉症の兆候が見え隠れしているのでそんなに優雅ではない。
店内用のカフェオレを頼んだはずが、テイクアウト用だったらしく、あとで110円多く払うことに。カフェあんま行かないからテイクアウト用と店内用で値段が変わるとは思わなかった。
考えたらそりゃそうなんだけど。
待ち時間はSPIの性格診断に答えつつ、一般常識問題をしこしこやっていた。高校時代は学内クイズ王だったが衰勢ここに極まれり。「月日は百代の過客にして…」がなんの冒頭なのかわからなかった。芭蕉なのはわかったんだがね。
さらに言いますと、『土佐日記』も抜けてたし、その作者も抜けてた。まさにゴミである。終わってんな俺。
15時30分 御社着(2社目)再び
ちゃんとトイレに行って、2社目。
かなり満足したのでるんるんで帰宅。
帰宅中の電車内では『リトルウィッチアカデミア』を観る。8話「眠れる森のスーシィ」が本当に最高だった。
18時 駅着
駅着だが最寄りではない。一駅また歩く。乗り換えで100円払いたくない。『リトルウィッチアカデミア』面白かったし。
19時 帰宅
疲れた。ごはん!ふろ!
20時30分 就寝
気がついたら寝ていた…(´・ω・`)
と、まぁ10時間以上外に出ていた。
やっとこさ就活に慣れてきたのもつかの間、ESの期限の第1陣が5日後くらいに迫って来ている。
手書きのESはやめて欲しいなぁ、字が汚いんだよぉ…と小学生以来のガサツさに愚痴をこぼしつつ、とりあえずやらなきゃ…と重い腰を上げるのだった。
資料、名札、ペン、模造紙
自分はグループワークは嫌いだ。
というのも、就活関係でやたらとグループワークをする機会に恵まれるが、ひたすらイライラする日々を過ごしているからだ。
イニチアシブというよりマウントを取ろうとする中途半端に高学歴な男、考えることを放棄し、そのなかで書記をやることでなんとか自分の居場所を見つけようとする女、小学生時代の謎の学級会と何も進んでいないのが腹立たしく感じる。
自分自身、別にコミュ力だったり協調性がないわけではなくて、グループワークのあり方そのものに疑問がある。
私には5人のグループワークで導き出される答えというのは、5人が知恵を出し合って得た最善の答えというより、5人による談合の結果にしか見えない。話し合いの中でいいアイデアというか、少しひねりのあるアイデアがあったとしても、残り4人の「常識人」によって否決される。つまり、多くの場合、多数決的な、当たり障りのないものに仕上がってしまう。
当たり障りのないものなら自分1人でできるし、まぁ最低限それを認可してくれる上司がいればそれでいい。ひねりのあるアイデアを持つ人だって、チャンスを与えてやれば大化けする可能性だってある。
そもそも企画はひねらないでどうするんだ?
きめぇ茶番だよこれは。この結果なら課題が出た瞬間にある程度予想がついた答えじゃないか…。
最近のグループワークはずっとこんな風に考えながら、自分は話し合いそのものに悪影響を与えないように慎重に行動している。つもり。
たまに鼻に付く人は攻撃するんだけど。
今日だって、なんかイニチアシブとって気持ちよくなってる人がいた。
彼はまぁ、優秀なんだろうがもう少し周りを見てやるべきだったと思う。
よくわからなくてついていけない人をそっちのけで話し合い始め、結局自分が説明することに。いちいち説明しなおす面倒な気持ちはわかるけど、その人にとっては少し言い回しがややこしかっただけであって、そんなハブるほど頭の悪い人じゃなかった。
せっかくイニチアシブをとるなら、そういうところにも目を向けてあげて、グループとしての総意を形成すべきじゃないだろうか。
再三それを言ったのにわかってもらえなかったけども。
終いには分業化の旗のもと、下請けみたいな扱いをさせようとし始める始末。ここに至ってはもうグループワークではない。
グループワークをやり、初見の人と多く話し合いをする上で、イニチアシブをとるということは自分が引っ張る立場になるというわけではなくて、問題を提起し、色々な人を考えさせて、各々の得意分野を伸ばしてあげることにあると思うようになった。
自分は正直、昔から何でも1人でやる人、他人に任せてクオリティが落ちるリスクがあるくらいならリスクがある程度わかっている自分でやってしまえという人間だった。友人にも諭されたが(本当にありがたい)そういう姿勢はリーダーとは違うのだと思う。
中学生の時に受けた、「リーダーシップトレーニングセンター」では全く教えてくれなかったことである。
茶番は続く
クレーマーの話
バイト先がクレームを処理する機会に恵まれているので、クレーマーへの対応に磨きがかかっている今日この頃。個人的に見出した攻略法みたいなものを書いていこうと思う。
まずは、そのタイプ分けから。
1.本当に自分たちが悪い場合
2.彼らが責任を押し付けている場合
3.キチガイ
1.の事案ならやることは一つである。ひたすら善処すること。ひたすらに関係各所と連絡を取り、彼らの要求と懸念点を見極めて早急に対応すること。ただ、彼らの供述(敢えてこういう)が本当だとは限らない。書類や言質など、多くの証拠から真実を探し出す必要がある。本当に自分たちが悪いのか?彼らが自分勝手な証拠を捏造してはいないか?これを気をつける必要がある。
2.の事案はまず謝ることだ。1.の人とは違い、怒り慣れてる人が多い。そのぶんクレーマーの危険度としては高いが、その実は空虚なものも少なくない。論理は破綻しているし、結局自分勝手な意見を述べている場合が多い。
なぜ謝るかというと、彼らの怒りを鎮め、建設的な話に持っていくためだ。怒りの力は持続しないし、非常に疲れる。だからまず謝る。それもそのクレームに対してではなくて、クレームを言う必要に置かれた状況に対して謝る。(ご足労をおかけしました、とか)これで彼らは自分が話のわかるやつだと勘違いする。そんなことはない。だが、好意は受けておくに越したことはない。クレームそのものに謝ると、つまりは相手の主張を全面的に受け入れたと同じに取られることが多い。(そうではないのは知ってるだろうが、相手はそう賢くない)
自分に非がない場合、きちんと話して、理解を得られれば上々である。マシンガンのように言葉を並べろ。
3.はもうどうしようもない。全面降伏すべきだ。相手するだけ無駄だし、疲れるし、嫌な思いをする。この類の人間は他の場面で割りを食ってる場合が多く、そのストレスとかそういうものを自分にぶつけているにすぎない。彼らも哀しい存在なのだ。
自分らの利益はひとまず差し置いて、自分の精神衛生を護るべきだ。交通事故に遭ったと思って忘れるしかない。
まぁしょうがない場面というのはたくさんあるが、日頃からメンタルを鍛えておくに越したことはないのかもしれない。