【没ネタ】『氷菓』実写化をポジティブに捉える思考実験
【没ネタ】です。諸般の事情により(だいたい飽きたとき)下書きで死んでいたログを発掘して没ネタとして供養しようというものです。時期など全く無視しています。ご了承ください。
『氷菓』が実写映画化されるようです。
監督は『リアル鬼ごっこ』シリーズの安里麻里監督。
スタッフ・キャスト
まずは監督の話から。
安里麻里監督のフィルモグラフィを見たが、見たことのある作品はなく…(´・ω・`)
正直興味を惹かれるものもなく…。
アンリ・マリさんなんだよね、Fateファンならわかるかな
ただ、映画史的な怪作『ソドムの市』*1のリメイクをやっていたり、『リアル鬼ごっこ』シリーズをやっていたりするあたり、ホラーやサイコ物を得意とする監督さんかなぁという印象。
『氷菓』はサイコホラーになってしまうのだろうか?笑
次、キャスト。
山崎賢人がどうも好きではない…。
とってもかっこいいと思うし、女子高生に異常にウケがいいのは納得できるが、正直そんなに上手くないと思う。
折木奉太郎は省エネの捻くれ者で、「そうですか」を「さいで」などと言うタイプの人間である。
山崎賢人はどうも昨今によく見られる控えめな男の子の役が多い。*2つまり、今流行りのジャンルというか雛形によく合った俳優なのだろう。
千反田えるが話を引っ張っていく『氷菓』の大枠は、山崎賢人の得意とする(得意というかよくやっている)主人公像に近いが、その中でも少し(かなり)捻くれた折木奉太郎をどう演じ分けるかが重要になってきそう。
「問題は、」と千反田える原理主義派*3の方々は言うだろうか。
うーん、「似る」必要はないけれど、もう少し「深窓の令嬢」感が欲しいところだった。
彼女は土地では有名な豪農の娘で、いわゆるお嬢様なわけだ。そして「遠回りする雛」で言及されるが、*4土地の豪農という生まれから来る将来への諦めというか、もう道筋が見えてしまっている苦しさ、みたいなものが描かれる。
そう、ただ可愛いお嬢様なわけではないのである。
千反田えるが物語のエンジンの役目を果たし、かつ物語そのものの核心を突くかなり大きな存在であるのは疑いようのないところだ。
脚本
最も「気になる」のは脚本である。
原作はシリーズ化されており、『氷菓』は短編集の体裁をとっている。
アニメ版での成功がどうしても付いて回り、*5自分はせいぜいドラマ化だと思っていた。
映画となると、尺は2時間とそこら。三幕構成としてどこまでやるか?という問題が生まれる。いくつか案を出してみる。
1. 『氷菓』のみ
カンヤ祭の由来を知るところまでの話になる。アニメ版だと1-5話。1話あたり正味20分として、1時間40分。少し短い。アニメ脚本と映画脚本はまったく別物で、アニメの方がセリフやカット割りの頻度が高い印象がある。つまり、まったく同じ内容をやるとすれば、実写版ならもう少し長くなるのではないか。
もし、エピソードを足すとすれば、(オリジナルは置いておいて)『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』なわけだが、これらは文化祭を題材にしているわけで、カンヤ祭のエピソードがないと文化祭そのものの背景が薄れてしまう。
でもまぁカンヤ祭の意味で終わるのは明らかに盛り上がりが欠けてしまいそう。
2.『クドリャフカの順番』まで
これはもうめいっぱい詰め込んだ形。駆け足!駆け足!という感じになりそう。
無理でしょう、要素が多すぎてパンクします。
絶対無理です。試しにプロット書いてみて欲しい。
3. オリジナル
嫌だなぁ、というところ。怖いじゃないですか。
恋愛の要素をどの程度入れるべきか、入れるとして告白だとか実際の行動に移すか否か。
そもそも『氷菓』はミステリーである。米澤穂信のちょっと若い感じの文書がいい味出してる話で、恋愛要素はあっても、それは成就するしないの話ではなくて、友達以上になってしまうのか?という人間関係で一番難しくて面白い関係をあくまでたくさんある要素の中の一つで書いている。
つまり主題ではない。要素。
ご飯じゃなくてふりかけ。
とここまで書いて飽きたので没ネタになりました。
『氷菓』はどうなるのでしょう?