たにしろぐ

日記というより備忘録です。誰かに読まれてることは想定されていませんので、覗き見感覚でどうぞ。

1年前、パリで風邪をひいた話

 

去年の9月ごろ、

当時大学生だった私は高校時代の友人2人と

10泊くらいの予定でヨーロッパへ行った。

 

成田からロシアのシェレメチェボ空港を乗り継ぎ、

ドイツ・ベルリンのシェーネフェルト空港へ。

 

その後

オランダ・アムステルダムスキポール空港から

特急タリス*1でベルギー、フランス…という

今思えばなかなかハードな旅行だった。

 

 

思い出話は尽きないが、

困難な思い出はフランスにいる時のものが1番多い。

 

現代フランス映画のヒット『アメリ*2の舞台

といえるモンマルトルはボッタクリの移民だらけだったし、

レオナルド・ダ・ヴィンチの超名画「モナリザ」は

中国人の団体でごったがえし、

あげくシャンゼリゼ通りのQuick*3というハンバーガー屋ではカバンを盗まれた。

ここだけ見るとパリはひどい街である。

 

しかしながら、初の海外サッカー現地観戦だった、

パリ・サンジェルマンvsオリンピック・リヨン戦と

PSGの本拠地パルク・デ・プランスの雰囲気は

「最高」の言葉ですら余るほどであったし、

ルーブルでもドラクロワの「民衆を導く自由の女神」は

中国人の感性に合わないからか、

割と空いた状態で見ることができたし、

ポンピドゥセンターでは中国人観光客0を記録。

全く邪魔されることなく現代アートを鑑賞できた。

 

 

 

 

そんなこんなでパリを3日巡り、

特急でストラスブールというドイツ国境の街へ行く。

ストラスブールは『WHITE ALBUM 2』(やったことはない)の聖地であり、世界遺産にも登録されている美しい街である。*4

ストラスブールは本当に素晴らしい街だった。

運河に囲まれ、

フランスともドイツともつかない、

アルザスの風景が広がっている。

ワインも美味い、最高の街だ。

 

 

 

パリからストラスブールまでは

TGVで2-3時間だったか。

パリ発の長距離列車はパリ北駅という

「お前本当に観光地?」

ってくらい治安の悪い駅から出ている。

 

パリの雰囲気の悪さは正直に申し上げて

移民の雰囲気によるものが大きい。

政治的・人道的なことは差し引いて考えるが、

その辺の日本人観光客の考える

「フランス」はパリにはないのだ

ということは確かである。

右派が台頭するのも納得である。

それを知れたのは非常にいい経験だった。

 

 

さて、旅の無理が祟ったか、

ストラスブールの帰り途中、

喉の痛みに苛まれた。

翌々日には帰国のため空港にいる予定だったので、

我慢と思って夜寝る。

 

 

 

 

 

 

翌日。

より激しい喉の痛み。

 

仕方なく、宿の近くにある薬局でトローチを買う。

喉が痛いは「そあすろーと」である。

シトラスの香りのするなかなか美味なトローチだった。

 

Google mapのトラッキング機能によると、

トローチを買ったのは朝10時ごろ。

その後、盗まれたカバンに入っていた

ルーブル美術館のお土産を買い直している*5

 

 

さすがに2回目の美術館に友人と行くのは申し訳ないので、1人で。

この辺りから熱っぽくなっていく。

2人との合流地点であるポンヌフ駅近く、

ドフィーヌ広場へ歩く。

 

 

美しいセーヌ川

チェインスモーカーズの”Paris”を聴きつつ歩く。

歩いてドフィーヌ広場の椅子に座っていると、

世界が回ったような心地になる。

いかん、これはヤバい、

と思いつつと2人と合流。

ノートルダム大聖堂へ。

 

 

 

ノートルダム大聖堂は『ノートルダムの鐘』*6や『ノートルダムの傴僂男*7で有名な場所である。

 

…正直ほとんど覚えていない。

確実に浮かされていた。

撮った写真もなんだか曲がった構図で1枚のみ。

よほど悪い状態なのだろう。

 

昼食をなんとか済ませ(たぶんサブウェイだった)

パリ北駅へ。

ここで私は力尽き、早めに宿に帰ることにした。

2人に詫びつつ、

パリ北駅から宿最寄りのサン=マンデ駅へ。

 

まんげwとか言ってバカにしていたサン=マンデも

今となっては休息の地、すべてが遠い理想郷。

地下鉄に揺られつつ、自分がこのまま『コラテラル*8トム・クルーズみたいになるとして、パリの人はニューヨーク*9の人と同じことをするだろうか?とか思いつつ、家路を急ぐ。

 

この帰途が最も現地人らしかった。

現地に溶け込むのが旅行の醍醐味なら、

風邪をひくべきだ。

 

さて、この頃には呼吸が厳しいほど

喉が痛くなっており、

薬局でノドぬーるスプレーのようなものを貰った*10

 

ノドぬーるスプレーをかけて、眠る……。

 

 

 

 

 

 

 

 

起きると2人が宿に帰ってきていた。

驚いた。ノドぬーるスプレーは効果テキメン。

数時間寝ただけだがほとんど痛くなくなっていた。

(ただ、そのかわり人生で最も大量の痰が出た。)

 

 

…彼らはどうやら、

パリでやることはもうほとんどしてしまっていて、

やることもないから戻ってきたのだ、と言う。

そんなことなかろう、

きっと自分に気を遣ったのだろう、

と心のうちで詫びと感謝をしつつ、

彼らの買ってきたピザとシャンパンを押し込む。

がっつり病人だった私にシャンパンを飲ませたのは

許されるべきではないが…。

 

ヨーロッパでの最後の晩餐。

明日は空港へ向かうのみ。

 

その夜は地獄だった。

まず、夜は熱が上がる。

身体が火照り、眠ることができない。

パリは夜でも結構うるさく、

どこかでパトカーがサイレンを鳴らし、

若者が歌う声が聞こえる。

 

私は持っていたありったけのペットボトルに水を詰め、両脇と股間、首に当てる。

血管の多く通る場所を冷やせと薄らいだ意識のなかで母親がそう囁いたのである。

さいころはそんなことせず冷えピタをくれ、と思っていたが、明日には治さなければならないことを考えると、母の教えには従うしかないのだ。

数時間ごとに浅い眠りから覚め、己の発する熱でぬるくなったペットボトルを替える。

友人曰くペットボトルを替える私は呻いていたらしい。

 

パリに私のうめき声が響く。(窓を開けてた)

阿倍仲麻呂*11の気持ちがわかったような気がする。

 

天の原

ふりさけみれば

春日なる

三笠の山に

いでし月かも*12

 

 

 

さて、なんの話だかわからなくなったが、

甲斐甲斐しい看護により、翌日には大方治った。

その後シャルルドゴール空港から帰途へつき、ヨーロッパ旅行は無事終了した。

今なお喉が痛くなったときはこのメイドインフランスのノドぬーるスプレーを使っている。

 

 

 

*1:ワインレッドの車体がクールな国際特急。アムステルダムからパリまでこいつで行った。タイミングがいいと取れる、2等と1-3000円しか変わらない1等キャビンではワインやケーキ、スナックなどが出て至れり尽くせり。ヨーロッパを巡りたい諸君、おすすめです。

*2:2001年公開、ジャン=ピエール・ジュネ監督の美しい色彩と可愛らしい登場人物がクセになるフランス映画

*3:フジQ感ある看板が特徴。調べたらベルギー発祥のハンバーガーチェーンらしい。劣化版マクドナルドと言った感じ

*4:もう少し行くとコルマールという街があり、そこは『ご注文はうさぎですか?』の聖地

*5:美術館のショップに入るだけなら無料なのだ!超並ぶけど

*6:1996年公開のディズニー映画

*7:『鐘』と同じくユーゴー原作の1939年などに公開された映画。せむしおとこ、と読む

*8:超絶イカしてるハリウッド映画。マジで面白い

*9:ニューヨークの地下鉄にも乗ったが、雰囲気は割と似通っている。世界はアジア人にそこまで優しくないので恐らくトム・クルーズになれる。

*10:フランスではセルフメディテーションの意識が高く、日本だと医師の処方箋が必要なレベルの薬でも普通に薬局のおばちゃんが売ってることがある。

*11:遣唐使として唐へ行き、そのまま帰れなくなったので科挙という超絶難易度の官僚登用試験を受けて見事合格。数々の文化人と交流したのち、そのまま日本に帰れずに死んだただただ壮絶な人生を送った天才

*12:753年、仲麻呂が帰国するときに友人であった王維たちに詠んだとされる。ちなみに、漢詩の五言絶句もまたいい。

翹首望東天  首を翹げて東天を望めば
神馳奈良邊  神(こころ)は馳す 奈良の辺
三笠山頂上  三笠山頂の上
思又皎月圓  思ふ 又た皎月の円(まどか)なるを