先生になりてぇなーと無責任に思う話
産まれた時から、隣の芝生は青いものである。
物心ついた頃、砂場で盛大にトミカで遊ぶ贅沢なあの子*1を見た時から、「あいつはいいなぁ」と思うのだ。
さて、20も過ぎ、世間的には大人とされる年齢になっても、変わることなく隣の芝生は青い。
むしろ隣芝生の青さへの憧れは無責任になっていく。
てなわけで、僕は無責任に、教師という職業に憧れる。
無責任だから、実情なんて知らない。
正直、イメージでしか知らない。
そんな感じで、なんの具体性もなく憧れてみる。
あ、中学生か〜高校生の先生がいいかな〜
国語か〜日本史の先生かな〜地理もな〜
そんなふわっとした話だ。
ゆったりとした時間がほしい
僕はどちらかというと忙しい業界にいて、
たくさんの情報とたくさんの人たちとの関係性で仕事が成り立っている。
そこにいる人たちはとても流動的で、半年ごとに相対する人は変わる。
その都度新しい出会いがあるのだろうし、刺激になるのだろう…と人ごとのように思う。
教師という職業は、割り合いゆったりしたものだと思っている。
1日3コマくらいの授業があり、各進度に合わせて授業を展開する。
授業では生徒の理解度はあまり念頭に置かず、あることないことをダラダラと話したい。
僕はそういう教師が好きだったから。
学期に1回くらい、ちょっと家で自慢してみたい、帰ったらウィキで調べてみたい、そんな風に思われるような授業をしたい。
好きなものをふんわりと包んで人に届ける。
別に厳しくもない1時間という制約の中で、知識を語るのだ。
カムバック青春
僕は行事が好きだったし、それに年甲斐もなくはしゃいで、ちょっとサムいと思われている教師が好きだった。
ので、それになりたい。
今なら、大人なりのアプローチを彼らに提示できるし、きっといい方向に物事を動かすことができるはずだ。
もちろん、教師の特権的な発言権の強さも忘れていない。
その辺りは「わきまえて」いるものだ。
うまく物事が進むと、関係は良くなる。
大縄で1回でも多く跳ぶ、跳ぶために大人として何ができるか。
わかっている、生徒が自分で考える力をつけるべきだ、と。
でも、もっと大切なのは人の意見に対してその正しいかそうでないかを精査し、自分の意見に昇華されることだ。
そんなありそうなことを思いながら、遠くに聴こえる吹奏楽部の練習をBGMに、解答に丸をつけるのだ。
つまりは逃避
Fight or Flight という言葉がある。
言葉というか、1929年にウォルター・B・キャノンによって初めて提唱された動物の恐怖への反応のことを指している。
「逃げるか闘うか反応」と訳そうか。
現状に対して闘うことが考えられない場合、僕らは逃避するしかないわけで、
ゆるやかな思考の逃避先に「教師になりたい」という漠然としたものがある。
哀しいことに、物事が上手くいっているときは教師になろうなんて一欠片も思わない。
恩師*2の一人が「教師にだけは絶対になるな」と疲れた顔をして言って来たのを今でも覚えているからだ。
でもいい先生は本当にいい先生だったし、
高校の国語の授業で「舞姫」*3のヒロイン、エリスが文中では直接的に触れられていないものの、状況証拠だけでどの身分の人物かをスラスラと解説していくのには惚れ惚れしたこともある。
森鴎外だと「普請中」も好きだった。
これも思い出があるのでおいおい残しておきたいな、と思いつつ、
やっぱり教師にはなってみたいよなぁと、思うのである。