たにしろぐ

日記というより備忘録です。誰かに読まれてることは想定されていませんので、覗き見感覚でどうぞ。

イタリアで食べたものの話

いい機会だったので初めての家族旅行に行ってきました。

ローマ→ナポリ→ローマ→フィレンツェヴェネツィア で10日ほど!

大学生以来の長期旅行でした。

フォローしてくれた会社の皆様本当にありがとうございます。

 


いうまでもなく最高の旅行でしたが、特に飯がよかった。

全部美味かった。さすがイタリア。

 


というわけで美味しかった現地の料理を軽くご紹介して、旅のレポとさせていただきます。

 


①プロセッコ

いきなりワインですが、イタリア北部、ヴェネツィアとかがあるヴェネト州名産のスパークリングワインです。

ガンガン飲めるタイプの軽いお酒。スーパーに行くとボトルで3€(450円以下)でめちゃ美味しいのが売ってて、完全に沼りました。ほぼ毎晩2人でワイン1本空けてました。

写真はトラットリアに並んでたら順番待ちの時にくれたプロセッコ。

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カルボナーラ

日本のカルボナーラとは違い、もっちりゴワゴワとした麺(割とラーメン二郎っぽい)と、塩気の強いグアンチャーレに、チーズの濃厚さが全面に出ていて美味しかったです。

イタリアへやってきて最初のご飯でこういう「美味しいけど日本ではあまり食べられなさそうな味」に出会えたので、幸先が良かったです。

久しぶりの海外でちょっとビビってたんですが、いい自信になりました。

 

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③ピッツァ(ナポリターナ)

困ったらピッツァかパニーニを食ってました。安くてうまい、オーダーが楽。

ナポリピッツァは旅程の関係でお目当てをスキップしましたが、どこ行っても美味しいのがピッツァ。

日本より甘めのトマトをベースに、オリーブオイル、チーズ、バジルが乗ればまぁマズく作る方が難しい。ピザ釜のあるお店だと作りたてが食べられるのでさらにおすすめです。

個人的にはアンチョビの味がしっかりついたナポリターナが好みでした。

やっぱり塩気は酒に合う。

 

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④サルティンボッカ

叩いて伸ばされた豚肉に、ハーブと生ハムを乗せて焼くローマ伝統の料理です。

食べごたえのある豚肉に生ハムの塩気、ソースと肉汁を吸いまくったマッシュポテトはもう最高。

日本でもライス以外にマッシュポテトという選択があってもいい気がするんです。そっちの方がお酒には合います。

外の席でお酒を飲みながら食べると綺麗な街並みの効果でさらに美味しくなります。イタリア行ったらぜひテラス席で。テラスを指差しながら「アウトサイド!」って叫べば大丈夫。

 

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ビステッカ アッラ フィオレンティーナ

フィレンツェ式ステーキとでも言いましょうか。

1㎏からオーダーOKなお店がほとんどで、その理由も「デカい肉を焼いたものじゃないとフィレンツェ式じゃねぇ」というストロングスタイルなのが清々しい。

熟成肉を使っていますが、デカいのにレアなので、7割くらい生肉なのが最高でした。味付けもオリーブオイルと岩塩だけ。でもまたこれが美味い。ストロングスタイル。

 

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ボンゴレビアンコ

旅行で1番美味しかったのはヴェネツィアで食べたボンゴレビアンコでした。

自分でパスタ作るとわかるんですけど、マジで塩加減が命。茹で汁に含まれる塩気や、パスタが何を吸っているかとか、変数が多くなればなるほど難しく、トマトベースじゃない場合はごまかすこともできない。

さらにボンゴレビアンコって、アサリそのものの塩気という生き物由来のド変数が絡んでいるので、見た目の割に難しい料理だと思っています。

その中でK点超えの一品。小ぶりなアサリを大量に使いつつ、完璧な塩加減とパスタの茹で加減、ちょうどいいオイル感と汁気、アサリのお出汁…。

完全無欠の着地を見せつけられての優勝でした。

 

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⑦アペロールスプリッツ

甘めのカンパリ、という感じのアペロールというリキュールにプロセッコとソーダを混ぜてオレンジを添えたカクテル。

テラスで鮮やかなオレンジ色した飲み物を飲んでる人がたくさんいましたが、みなさんこれを飲んでいるわけです。

見た目によらず、酒を2種類入れてるので結構アルコールは強め。でも苦味が効いてるしヴェネツィアの風景強いし何杯も行けそうでした。

日本でも横浜とか神戸でガンガン売ってほしい。色綺麗だから映えるし、アルコール度数高いから気持ちよく酔えます。

 

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他にも、ムール貝のクリームパスタや、アマトリチャーナイカスミパスタといったパスタ類、マルゲリータやマリナーラのようなピッツァ類に加え、リゾットやコロッケ、フリットなど、食べまくった1週間でした。

さらにいうと飲みまくった1週間でもあります。

プロセッコにペローニ(イタリアンビール)、白赤のワインに、現地のスーパーに置いてあったRTDの数々。

生ハムとチーズが安くてしょっぱくて美味いので宿飲みも捗りまくってました。

 

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仕事頑張ってまた行きたいな!

車からゴリッて音がすると怖い(最近の悩み)

前回の投稿から2年以上が経過した。

自分でも驚くけれど、

ここって自分の心の整理だったり、

夜にネガティブな感情に苛まれた時の

はけ口にしていたものだから、

使われなかったことはよかったこととも言えそう。

 

 

 

 

さて、そんな2年は順風満帆かというと、もちろんそうでもない。

すーっごく長い時間働いていたし、職場も、地位も年収も変わった。

それによって見えるものが違ってくるし、

過去の記事を見て「あー、この時の自分はこう思ってたんだね」ってなるのも悪くないなって思う。

 

 

 

ここ最近で悩んでいることはふたつ。

 

  1. ひとのマネージメントって難しい
  2. ちょっと嫌なことが重なった

 

 

 

 

 

ひとのマネージメントって難しい

この2ヶ月くらいずーっと思っている。

マネージャーになってから思うけど、部下ってめちゃくちゃ自分勝手。

やりたいことはすぐやるクセに、やりたくないことは先延ばしにするし嫌な顔をする。

で、自分が巻き取ったらより上の人間に「そんな仕事は任せろ」と言われる。

なんだか初歩の初歩でつまずいている感じがある。

 

今自分部下に対して思うことは絶対自分の上司に思わせてきたことなわけだし、

部下をシコシコとやっていたナマイキ小坊主時代の自分の至らなさというか、見識の狭さに恐縮しつつ、

自分も未だに自分勝手に振る舞うし、やりたいことはすぐやるクセに、やりたくないことは先延ばしにするし嫌な顔をする。

ああ、輪廻はめぐる。

 

 

 

手がかりが欲しくて書店で何個かマネジメントに関する本を手に取ってみたけど、どれもしっくりこなかった。

 

自慢話が多いから疲れる。

最悪の状況から満塁ホームランを打ちました、みたいな話ばっかり。

でもそういう経験則で学ぶしかないのだろうか。

 

あとはアメリカの軍隊式がどうとか、GAFAMはこうだとかとか。

「それができれば世話ないけどさ…」と心の中の歪んだ自分が言い出す。

 

自分が今までビジネス書に助けられたことがないのが心のどこかに不信感としてあるんだろうけど…。

 

 

 

でも学ぶ対象は欲しいよな…と最近見ているのはサッカーのプレミアリーグ

監督が記者会見とかでどんなことを言っているか、どういうリーダーシップをとっているかを見ている。

リバプールのクロップ監督、マンチェスターシティのグアルディオラ監督、アーセナルのアルテタ監督…*1

 

 

 

共通するのはモチベーターであるということ。

(スポーツだからそうなんだけど)みんなのモチベーションを上げる、そのために戦略がある感じ。

ここがゴールだよね、そのための道筋はこうだよね。

その中の君の役割はここ、そうすればほら、結果になった。

この一連の流れが完璧に組めたらきっとプレミアリーグの優勝ができるんだろう。

 

 

全部は無理だし、そもそもサッカーの監督になりたいわけではないので、

じゃあ自分にできる範囲ってどこかな〜と考えたときにこのふたつくらいかな?と思った。

 

  1. 指針を決める(そしてそれを自分が信じる)
  2. ポジティブな気持ちで組織を維持する

 

 

文章に書いたらシンプルだが、めちゃくちゃ難しい。

①については、自分の意見はその場その場では持てるし、判断として自信もある。

でも、長期的なものは持てない。戦略めいたものを作るけどほろほろと崩れてしまう。

根本的に自信がないんだよな。どうやったらいいんでしょうかね。

成功体験?マネージャーとして?どれが成功なんだ?

 

 

②も難しい。

割と自分はニコニコしていて、温和だと言われる側の人間だけど、イライラする時はあるし、

人並みに悪口も陰口も言ってきたし、上司の批判を飛ばしもしたし。

はいじゃあポジティブ!という感じにはならないし、どうやっても聖人君主にはなれない。というか逆にポジティブなことだけ言ってる奴って信用できなくない?

悪口って人と仲良くなるための秘密の共有なので、それを取り上げられると厳しいな〜と思う。

 

もちろん塩梅の話なんだろうけど、難しいね。

 

最近はそういう、答えのないものをモニョモニョと考えることが多いから、

ネガティブな気持ちを抱えることになる。

今のところ、対処法は下記4つ。

 

①めちゃくちゃ寝る

→子どもの時の「ふて寝」は今でも効果的

②めちゃくちゃ食べる

日高屋で満漢全席*2やって1800円くらい。安い。

③めちゃくちゃ叫ぶ

→カラオケではできない野生の咆哮。車の中で。

④自然に帰る

→ソロキャンプ。現世がちょっと嫌になるのがBAD。

 

あとは確立できていない方法として、

自分でDJプレイをしてウイスキー飲みながらクネクネするとか、本を読むとか、そういう細々としたものはある。

ちなみに、個人的にネガティブ発散のルールがあって

①お金は出来るだけかからない方法で

→お酒爆飲み、ショッピングは違う

②人に影響を与えない方法で

→誰かを誘って飲んだりとか、女とかそういうのは違う

というのを守っている。

ネガティブな気持ちで誰かとお酒を飲むと、絶対荒れるので…(前科アリでめちゃくちゃ反省している)

 

 

 

色々書いたけど、自分の中でこうやってうまくいかない怒りとか、焦りとか苛立ちとか、不安とか寂しさとかそういうものの折り合いをつけながら、人間って生きていくのだなぁと最近はつくづく思う。

 

 

…自分の仕事ってそういう気持ちに苛まれる人を救うものであるべきだよね、とも(ちゃんと!)思う。

 

そう考えると、こうやって、何が嫌なの?っていうのを書いていくのも、気持ちの整理なわけで、確立されていない⑤の方法なのかも。

 

 

ちょっと嫌なことが重なった

これついてはしょーもないけど

駐車場で愛車を擦ってしまって、それがツラいという話が9割くらい。

自前で治すのもなんか嫌だし*3かといって修理に出したら数万円だろうし。

まーーー金でこの気持ちを救えるなら払うか…とか思うんだけど…。

 

自分のものを壊してしまうのには昔から弱い。

中学生の時、友だちにシャーペン壊された日には数週間ブルーだったし、彼女からもらったスマホケースが割れた時の気持ちはずーっと引きずっている。

 

貰いものや特別愛着のあるものはのぞいて、今はある程度のものを買えるお金はあるけど、

こういう自分の心の弱点は20年以上、同じく抱えている。

 

ちょっとずつ寛解と、再発と、どこぞのクソに新しいトラウマを植え付けられながら、人として出来上がってくるのだろうな。

そういうことじゃないとツラすぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止まない雨はない」というけれど、

個人的にはきちんと雨に打たれて、びしょ濡れになって寒くて嫌な気持ちを自分に覚えさせて、

その上で前に進んでいく方が好きかな。たぶん。

 

ちゃんと正面から凹もう、おやすみなさい。

 

*1:あとはF1とかも見ている。最近そういう目でしか見てない

*2:ビール2杯、餃子6個、生姜焼き、3種盛りで1600-1800円くらい

*3:自分のそういう技術を全く信用していない。美術でも工芸でもそれはそれはひどい成績だった。幼小中高大で培われた苦手意識はYouTubeの動画ごときで崩せないのである

ふわふわコロナ

 

「コロナ禍」を「ころなか」と呼べる人間はどれほどいるのだろうか。

禍を災いとして読めなくなる人間がインターネットにはたくさんいるようで、うずとかなべとか、幸せなワードが立ち並ぶ。

 

みんな、全国民にマスクを2枚配る安倍政権をバカにして暇を潰している。

「マスクを2枚配ればいいだなんで馬鹿野郎だ」というのは確かにわかりやすい話ではある。

 

とはいえ、わかりやすい話がすべてなわけではない。

役人は個人的には好きな人たちだし、*1とても賢い人たちだ。

彼らの住む世界がとても特異な世界であることは事実ではあるし、かなり擁護するような見方をしている自覚はあるものの、2枚のマスク供給を政権がドカーンとか決めた、みたいに話はそう単純ではない。

 

 

 

 

どう単純じゃないか、の議論はしない。

 

 

 

 

ま、こういうのもモリカケ問題やら、種々様々な政権の抱える問題がある中で、

今とっても暇な国民がわーきゃー言っているだけなような気もする。

一億総被害者意識、とでも言おうか。

 

もちろん無理なものは無理だし、Stay Homeの原則はもちろんその通りだが、

経済活動として歩みを止めてはいけないのも事実だ。

本当にHomeでStayするだけなら犬でもできるわけだし、人間として今できることをするしかない。

 

10年、20年前に人類が同じ状況になったとしたら、ただ立ち止まるだけだったかもしれないが、

今はびっくりするほどたくさんのツールがある。

 

残念ながら、この病は数年単位で続くだろう。

 

色々な価値観が変わり、生活様式は大きく変わる。

デジタルの流れはより早く進み、乗り遅れる者は死ぬ(いや、より早く乗ったものが生きるか)ことになるだろう。

 

ポストコロナ、あるいはウィズコロナの世界に我々がどう生きるか、

どこに商機を見出すかが重要な鍵となる。

 

 

雌伏の反対は雄飛である。

我慢でもなく辛抱でもなく、これは準備だ。

 

 

Well, I’m livin’ in a foreign country but I’m bound to cross the line
Beauty walks a razor’s edge, someday I’ll make it mine
If I could only turn back the clock to when God and her were born

 

 Bob Dylan "Shelter From The Storm"

 

 

*1:知る限りの官僚を見る限り、最強の奉仕集団だと思っている。地方公務員はよく知らない。

とある病気のセルフチェックについて思うこと

【これは2019年の夏から秋頃に書かれた文章です。】

 

 

職業柄、コンテンツの企画を作るようなことを

数多くやってきたが、

セルフチェック、というコンテンツは

あんまり気にしていなかった。

 

今まで口角炎だったりインフルエンザだったり、

なんとなく病名を察せるものしか

罹患してこなかったから、

あまり必要性を感じてこなかったからだ。

 

その意味で、

正解がなんとなくわかっている病気に対して、

セルフチェックのようなコンテンツは答え合わせのような作用をする。

「……そりゃそうだな」となるのみで、

あまり有益だとは思わなかった。

 

 

 

 

セルフチェックを受けたよ、という話が趣旨の今回。

なんのセルフチェックを受けたか。

そう、「うつ病」である。

現代病の最たるもののひとつ、

精神病の類いである。

 

これに関しては「まさか」という感じで実施した。

ちなみに、下記URLがそのセルフチェックだ。

https://utsu.ne.jp/self_check/

運営は塩野義製薬と日本イーライ・リリーが行なっている、きちんとしたサイトだ。*1

 

質問項目を見ると、

「身体がだるく疲れやすいですか?」とか、

「騒音が気になりますか?」とか、

それっぽいことを聞かれる。

 

 

 

 

………やっべぇ…。

質問を答えながら、役が揃っていくのを感じる*2

ヒヤヒヤしながら答えると結果は…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ほう!傾向がありそうと。

まぁ、なってしまっているわけではないけど、

早期治療というか、辛かったら受診してね、ときた。

 

 

 

 

さて、このコンテンツ、いち生活者として

めちゃくちゃ自分には刺さった。

 

うつ病という文字面のパワーと、

でも意外なことに、なんとも言えない安心感があった。

 

…ここ1-2ヶ月のとてつもない怠さと虚無感に

ちょっとした名前がついたようで。

 

 

 

なんというか、人間として当たり前の感覚だよ、と

背中を押してもらっているような、そんな感じだ。

 

とはいえ、

ここは是非セルフチェックを受けて欲しいが、

多くの自分に近い年齢の人が当てはまってしまうような内容ばかりだ。

恐らく、じゃあやってみよう、とトライしてみて、

予想外に「うつ病の傾向あり」と出る人はたくさんいるはず。

うつ病ってきっとありふれている病気なのだろう。

 

 

セルフチェックは自分にそんなことを気付かせてくれた。

とてもいいコンテンツだと思う。

 

 

 

 

ただの疲れ、仕事の甘え、力量不足…

そうとも限らないのに無理に自分自身に引き込んでしまって、

より深いところへ落ちてしまうくらいなら、

いっそ、この倦怠感に名前をつけてしまった方が楽かもしれない。

 

 

めちゃくちゃ余談だが、昔、ガーナという西アフリカの国にある、「レッドブル・ガーナ」という施設のドキュメンタリーを観た。

 

様々なスポーツに投資する世界的な飲料メーカーのレッドブルはサッカーチームも運営しており、

南野がいるレッドブル・ザルツブルク*3や、

ドイツ1部ブンデスリーガの強豪の一つになった

レッドブルライプツィヒなどがレッドブル・グループの一員だ。

 

レッドブル・ガーナ」の目的はアフリカの優秀な人材を集め、ヨーロッパで活躍させるため、

サッカーはもちろん、ドイツ語やその他教育を受けさせる場として整備された。

 

ガーナの人々はドイツやオーストリアの人と違い、

非常に低い物価で働いている。

ガーナの若者1人がこれらの国でプロとして成功すれば、仕送りで家族が裕福な暮らしができるのだ。

レッドブル・ドリームである。

 

もちろん、プロになるには沢山のセレクションに受からないといけない。

 

家族の期待を背負って、自分の「フットボールドリーム」を背負って、

それでも落ちたガーナの若者が

「神様が今ではないと言った」と言えてしまう。

 

どうしようもないことをただ神に委ねる、

神のみぞ知るを体現する在り方を見た。*4

でも、これは身勝手かもしれないけれど、

メンタル的にはとっても健康なことである。

一種の諦めも大事であり、謙虚さ、あるいは勇気を神は我々に都合よく与えてくれる。

わかりやすいお金や権力ではなく、精神面での後ろ盾としての神ならば、そう有害なものではないだろう。

 

なのでメンヘラとか、存在証明を他者に委ねるような自身のない人はみんな宗教に救いを求めるのがいいのでは、と心の中で思っている。

こんなこと、世間ではほぼ言わないが、救いになるならそれでいいし、誰かの迷惑もかけないし、神様って応えもしなければ裏切りもしないから。

身勝手に拠り所にしてやるのが人間たちの神様に対する正しい在り方なんじゃないの。

 

 

 

 

 

 

 

 

…と、僕はうつ病ではないけれど、

どうやらその入り口にいるらしい。

 

重症ではないことはわかっているし、

騒がれるようなことではないけれど、

この事実は自分にとって悲しくて、

誰かを悲しませる要素に溢れている。

 

 

 

でも、唯ぼんやりとした不安*5に殺されるくらいなら、

ちゃんと直視したほうがいいと思う。

 

そんなことを深夜なので考えている。

 

 

 

*1:非常に細かい話をすると、このサイトは塩野義製薬と日本イーライ・リリーの共同出資で運営されているようだが、このような症状ごとの専門的なサイトは、企業がオウンドメディアのような形で運用していることが多い。

海外と異なり、日本は薬機法(「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」が正式な名前。薬品や化粧品、健康食品など、身体に良さそうなもののあれこれを包括的に定めている法律。今回はその中の広告規則(66条)が該当する。)の関係で、薬そのものを広告することはできない。

ただ、塩野義製薬は「SAGE-217」日本イーライ・リリーは「サインバルタ」という抗うつ剤を展開しており、「うつ病かな?」と思った患者に対して来院を促進し、両2製薬会社の抗うつ剤を処方され、製薬会社は儲かる、という仕組みだ。

このような座組みは特定の疾患に対してシェアを独占することが多い製薬会社特有の状況だろう。

製薬会社の儲けのため、というと気分が悪いかもしれないが、我々生活者はよくわからないメディアのニセ医学情報よりも、製薬会社のきちんとした(とされる)情報の方が遥かに有益なので、社会的にもいいことだと私は思っている。

*2:そもそもセルフチェックを受けるべく「うつ病」とかで検索をかけてる時点でもう既に結構病んでるけどね

*3:2020年1月にリヴァプールに移籍した。ちなみに、チームメイトのサディオ・マネやナビ・ケイタもこのチームの出身。

*4:ちなみに、このレッドブル・ガーナは全く上手くいかず、2014年にフェイエノールトのアカデミーに吸収され、消滅した。

*5:芥川龍之介「或旧友へ送る手記」---君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。--- その後、芥川は薬物自殺を遂げた。

寝る前にうだうだ言うだけの文章 その2

5月以来、6ヶ月ぶりの更新。

 

9月から書いている日記もまずまず更新しつつ、

今はただ息を吸って吐いている。

 

「病んでるね」「疲れてるね」という言葉は聞き飽きたし、

自分を保つために*1仕事をしている。

 

僕の仕事はなかなか結果に繋がるものではない。*2

今あるプレッシャーよりも少ないリザルト*3で生きている。

 

息を吸って、吐いて。

ただ自分が無能ではないことを示すように仕事をこなす。

ぬるく白い灰ばかりになった自分をチリチリと燃やす。

言い訳のための、退却戦のような仕事ばかり。

 

精神を保つために転職活動をしてみて1ヶ月。

他の会社を見ていると、邪な感情がふつふつと湧き出る。

 

先輩や他の部署の人は「無理をするな」とか心配をしてくれる。

でも誰もやってきてくれはしない。

去年の今頃辞めた先輩の気持ちが痛いほどよくわかる。

この閉塞感はなんだ、無益な燃焼に感じるのはなんでだ。

僕は燃焼したい、ただ二酸化炭素を出すのではなく、熱を帯びたい。

誰かを黒こげにしたい、ぬるく燃えるのはその後でいい。

 

辞めたいのか、辞めないといけないのか。

どうなんだろう。とってもネガティブな気持ちだ。

1月の自分はそれでもポジティブに向き直った。

苦しい状況を自分ならひっくり返せると言い切った。

ひっくり返せる。1月の自分よりも自分はきっと優秀だ。

でも、ひっくり返した先に何があるのかな。

 

ただ息を吸って吐いて。

少し強く。自分にしか聞こえないように。

 

*1:≒理想と現実のギャップを埋めるために

*2:まだ繋がっている方ではあるけど…

*3:お金、やりがい

先生になりてぇなーと無責任に思う話

 

産まれた時から、隣の芝生は青いものである。

 

物心ついた頃、砂場で盛大にトミカで遊ぶ贅沢なあの子*1を見た時から、「あいつはいいなぁ」と思うのだ。

 

さて、20も過ぎ、世間的には大人とされる年齢になっても、変わることなく隣の芝生は青い。

むしろ隣芝生の青さへの憧れは無責任になっていく。

 

てなわけで、僕は無責任に、教師という職業に憧れる。

無責任だから、実情なんて知らない。

正直、イメージでしか知らない。

 

そんな感じで、なんの具体性もなく憧れてみる。

あ、中学生か〜高校生の先生がいいかな〜

国語か〜日本史の先生かな〜地理もな〜

 

そんなふわっとした話だ。

 

 

 

ゆったりとした時間がほしい

 

僕はどちらかというと忙しい業界にいて、

たくさんの情報とたくさんの人たちとの関係性で仕事が成り立っている。

そこにいる人たちはとても流動的で、半年ごとに相対する人は変わる。

その都度新しい出会いがあるのだろうし、刺激になるのだろう…と人ごとのように思う。

 

教師という職業は、割り合いゆったりしたものだと思っている。

1日3コマくらいの授業があり、各進度に合わせて授業を展開する。

授業では生徒の理解度はあまり念頭に置かず、あることないことをダラダラと話したい。

僕はそういう教師が好きだったから。

 

学期に1回くらい、ちょっと家で自慢してみたい、帰ったらウィキで調べてみたい、そんな風に思われるような授業をしたい。

 

 

好きなものをふんわりと包んで人に届ける。

別に厳しくもない1時間という制約の中で、知識を語るのだ。

 

 

カムバック青春

 

僕は行事が好きだったし、それに年甲斐もなくはしゃいで、ちょっとサムいと思われている教師が好きだった。

ので、それになりたい。

 

今なら、大人なりのアプローチを彼らに提示できるし、きっといい方向に物事を動かすことができるはずだ。

 

もちろん、教師の特権的な発言権の強さも忘れていない。

その辺りは「わきまえて」いるものだ。

 

うまく物事が進むと、関係は良くなる。

大縄で1回でも多く跳ぶ、跳ぶために大人として何ができるか。

わかっている、生徒が自分で考える力をつけるべきだ、と。

でも、もっと大切なのは人の意見に対してその正しいかそうでないかを精査し、自分の意見に昇華されることだ。

 

そんなありそうなことを思いながら、遠くに聴こえる吹奏楽部の練習をBGMに、解答に丸をつけるのだ。

 

 

つまりは逃避

 

Fight or Flight という言葉がある。

言葉というか、1929年にウォルター・B・キャノンによって初めて提唱された動物の恐怖への反応のことを指している。

「逃げるか闘うか反応」と訳そうか。

 

現状に対して闘うことが考えられない場合、僕らは逃避するしかないわけで、

ゆるやかな思考の逃避先に「教師になりたい」という漠然としたものがある。

 

 

哀しいことに、物事が上手くいっているときは教師になろうなんて一欠片も思わない。

恩師*2の一人が「教師にだけは絶対になるな」と疲れた顔をして言って来たのを今でも覚えているからだ。

 

でもいい先生は本当にいい先生だったし、

高校の国語の授業で「舞姫*3のヒロイン、エリスが文中では直接的に触れられていないものの、状況証拠だけでどの身分の人物かをスラスラと解説していくのには惚れ惚れしたこともある。

 

森鴎外だと「普請中」も好きだった。

これも思い出があるのでおいおい残しておきたいな、と思いつつ、

やっぱり教師にはなってみたいよなぁと、思うのである。

 

 

 

*1:砂場でトミカで遊ぶと、可動部に砂が入り込み、二度と動かなくなるのである。僕のいすゞの青いトラックはそれで死んだ

*2:どんな先生でも僕は恩師と呼ぶようにしている

*3:森鴎外の名作。ドイツへ留学している太田という官吏がエリスという女の子と懇ろになるも太田は色々あってエリスを残して帰国。残されたエリスは発狂する、という割と救いのない話

寝る前にうだうだ言うだけの文章

 

 

私はこの時間が嫌いだ。

 

 

 


日曜日の0時過ぎ、暖房が静かに唸る。

一人暮らしをしていると、人間の動作音よりもモーターの動作音の方が目立つことに気がつく。

エアコン、換気扇、洗濯機…。

せっせと働くのは私だけではないらしい。

 

 


先週の金曜、私は少し早く仕事を切り上げて、同僚と酒を飲みに行った。

仕事終わりの酒は美味いものである。

あまり身体には良くないような美味しさだが、金曜の私は日曜の私には到底止められない。

 

 

 

 

「振り替えた」仕事を日曜に終える。

家でやる仕事は進捗がすこぶる悪く、10%にも満たない。

一部の仕事を月曜に「振り替えて」暖房を消す。

 

 

 

もう寝なきゃな…と考える。

平日は部屋が汚くなる。

洗濯機もろくにかけないし、炊事は(もともとしないけど)より簡素なものになる。

Amazonからやってきた小包は開けられることなく部屋に転がっている。

平日一度も開けないでもいい小包なんて、買った意味はあるのかと少しだけ思う。

 

 

 

 

もうそろそろ1時になる。

寝ないといけない。

 

なにか別のことを考えようかな、と思う。

3月まで更新期間の携帯契約、

平日に行かなければならないかもしれない内科、

 

 

 

 

今日、なにをしていたっけ。

 

 

 

 

 

 

もう1時を過ぎた。

咳が出る。

 

 

取り止めなさ過ぎて涙が出そうだ。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

頑張れ来週の自分。

君なら今週の自分よりもっと上手くやって

もっと強くなれる。

今週の自分はもう死んでしまうけど、

来週の自分に託すことはできる。

 

面倒なことから始めよう。

物事を決めるときは出来るだけ早くしよう。

投げうって、掴んで、走りきろう。

 

頑張れ、俺。