中学の夏の思い出
中学生の頃、サマーキャンプのようなものに行ったことがある。
確か青少年赤十字が主催していたもので、県内の中学から2-3人くらい参加していたと思う。
自分は内申点*1が欲しかったのと部活をサボりたかったのとで、二泊三日だかそれくらいのサマーキャンプへ行くことにした。
埼玉県の加須市だったと思う。長閑な風景と、広義には青少年の倫理保護のために設置されたポスト*2が印象的だった。
自分の学校からは自分と、同じ部活の仲間1人、そして別にもう1人参加していた。
アイスブレイクから始まり、赤十字主催だけあって、数多くのアクティビティが用意されていた。
特に取り上げるまでもなく、授業はつまらなかった。
みなが無償の愛だとか、ナイチンゲールだとかマザーテレサだとか色々と言っている。大人たちは目をらんらんとさせて生徒たちに自分の理想を語るのだった。
自分自身そもそも奉仕の精神が皆無であり、ボランティアなど糞食らえな人間に言っても馬の耳に念仏*3である。
とかくつまらないものだった。
また、アクティビティがあるわけで、つまりはグループというものがあった。
自分のグループはまずまずよくやれていたと思う。
当時の自分は初対面の人といきなり上手くやる手腕がなかったから難儀していたが。それでも話せば仲良くなることはできるので、一度距離感を掴めば簡単だった。
そして中学生が一定数集まれば当然のことだが、カーストが形成される。
久喜の人だったか、一目でそれとわかる野球部の人が3人。
彼らがお山の大将だった。セクシャルアピールの強い個体*4がお山の大将になるのは自然の理である。
自室に女子を呼び、大声で話して、叫んで、静かになったと思ったらいちゃいちゃしていた。
中学生なんてそんなものだ。
当時の自分はそういう人種を毛嫌いしていた。
自分にはできない、という嫉妬も混ざっていた。
「誰と誰が手を繋いでいた、ケータイを使ってこんなことをやっていた」
ウェイに追い出され、泣く泣く自分の部屋に来た部活の同級生の愚痴に似た報告を聞く。
2人で2段ベットの上に寝転がり、薄汚れて所々シミになった天井を蹴りながらお互いの境遇を慰めあった。
ベッドの下から大富豪*5に誘う声が聞こえる。
結局、配られたカードで勝負するしかないのだ。
アクティビティには色々種類があり、キャンプの参加者は皆何かを企画し、主催することが義務付けられていた。
施設にあった将棋を使って将棋大会をしたり、ダンスを踊ってみたり、みな思い思いに楽しんでいた。
野球部は朝の筋トレを企画していた。
いっちにっ、さーーーん
という全国の野球部伝統の掛け声とともに、いち、で右足を横に出し、に、で左足を横に、さーんでスクワットする、ということを何十回かされた。
広場の参加者たちはキツいキツいといいながら朝の運動に顔を綻ばせている。
自分は運動こそ嫌いではなかったが、気にくわない連中の掛け声でスクワットするのに最後までいい気がしなかった。
結局、自分は企画・主催をしなかった。
何人かいた大人には注意をされたが、ずっと無気力な態度を取っていたからだろうか、あまり深く言われることはなかった。
グループでも最後のプレゼンが控えていた。
プレゼンは昔から得意で、ペープサートを使った発表はそこそこの評価を得た。
グループのメンバーにも色々と感謝された。
自分には頭をひねることしか能がなかった。
最終日の朝、キャベツの千切りにサウザンアイランドドレッシングをかけながら思う。
結局、なんだったのだろうか、と。
赤十字という看板のもと、宗教じみた授業とアクティビティの数々。
自由時間はウェイが跋扈し、うだつの上がらない自分らは何も言わず大富豪に興じる。手札にエース以上の札が来ないことを嘆いてはいけない。
自分が得たものは、結局自分はそういう雰囲気に乗っかることのできない人間だ、という認識。
一歩引いて考える。「意味のあることか?」
それが空気を悪くすることだってことは知っている。だから1人で悶々と読書をする。
あまりに悶々と読書をするもので、施設に置いてあったナイチンゲールの評伝を全て読みきってしまった。
最も面白かった場面はどこか。
それはナイチンゲールが従軍したクリミア戦争に於いての、戦闘の様子が仔細に描写されたシーンだった。
クリミア戦争に於いてロシアはその後進性が露呈し、改革を余儀なくされ、ヨーロッパの盟主だったオーストリアは外交の失敗から落日の色を見せる。
自分も改革が必要だろうか、付き合い方に問題があっただろうか…
そんなことを考えていたかは今となってはわからない。
だが、白衣の天使に興味を持たず、戦争の描写を嬉々として読む自分はつまりそういう人間だった。
それでいい。
今でも思う、満足だ。
1年が経っただろうか、ある日、当時のグループのメンバーとばったり遭遇した。
うだつの上がらない大富豪仲間だった。
1年くらいでは変わらない。
相変わらずうだつの上がらない奴だった。
今となってはもうわからない。
【没ネタ】『氷菓』実写化をポジティブに捉える思考実験
【没ネタ】です。諸般の事情により(だいたい飽きたとき)下書きで死んでいたログを発掘して没ネタとして供養しようというものです。時期など全く無視しています。ご了承ください。
『氷菓』が実写映画化されるようです。
監督は『リアル鬼ごっこ』シリーズの安里麻里監督。
スタッフ・キャスト
まずは監督の話から。
安里麻里監督のフィルモグラフィを見たが、見たことのある作品はなく…(´・ω・`)
正直興味を惹かれるものもなく…。
アンリ・マリさんなんだよね、Fateファンならわかるかな
ただ、映画史的な怪作『ソドムの市』*1のリメイクをやっていたり、『リアル鬼ごっこ』シリーズをやっていたりするあたり、ホラーやサイコ物を得意とする監督さんかなぁという印象。
『氷菓』はサイコホラーになってしまうのだろうか?笑
次、キャスト。
山崎賢人がどうも好きではない…。
とってもかっこいいと思うし、女子高生に異常にウケがいいのは納得できるが、正直そんなに上手くないと思う。
折木奉太郎は省エネの捻くれ者で、「そうですか」を「さいで」などと言うタイプの人間である。
山崎賢人はどうも昨今によく見られる控えめな男の子の役が多い。*2つまり、今流行りのジャンルというか雛形によく合った俳優なのだろう。
千反田えるが話を引っ張っていく『氷菓』の大枠は、山崎賢人の得意とする(得意というかよくやっている)主人公像に近いが、その中でも少し(かなり)捻くれた折木奉太郎をどう演じ分けるかが重要になってきそう。
「問題は、」と千反田える原理主義派*3の方々は言うだろうか。
うーん、「似る」必要はないけれど、もう少し「深窓の令嬢」感が欲しいところだった。
彼女は土地では有名な豪農の娘で、いわゆるお嬢様なわけだ。そして「遠回りする雛」で言及されるが、*4土地の豪農という生まれから来る将来への諦めというか、もう道筋が見えてしまっている苦しさ、みたいなものが描かれる。
そう、ただ可愛いお嬢様なわけではないのである。
千反田えるが物語のエンジンの役目を果たし、かつ物語そのものの核心を突くかなり大きな存在であるのは疑いようのないところだ。
脚本
最も「気になる」のは脚本である。
原作はシリーズ化されており、『氷菓』は短編集の体裁をとっている。
アニメ版での成功がどうしても付いて回り、*5自分はせいぜいドラマ化だと思っていた。
映画となると、尺は2時間とそこら。三幕構成としてどこまでやるか?という問題が生まれる。いくつか案を出してみる。
1. 『氷菓』のみ
カンヤ祭の由来を知るところまでの話になる。アニメ版だと1-5話。1話あたり正味20分として、1時間40分。少し短い。アニメ脚本と映画脚本はまったく別物で、アニメの方がセリフやカット割りの頻度が高い印象がある。つまり、まったく同じ内容をやるとすれば、実写版ならもう少し長くなるのではないか。
もし、エピソードを足すとすれば、(オリジナルは置いておいて)『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』なわけだが、これらは文化祭を題材にしているわけで、カンヤ祭のエピソードがないと文化祭そのものの背景が薄れてしまう。
でもまぁカンヤ祭の意味で終わるのは明らかに盛り上がりが欠けてしまいそう。
2.『クドリャフカの順番』まで
これはもうめいっぱい詰め込んだ形。駆け足!駆け足!という感じになりそう。
無理でしょう、要素が多すぎてパンクします。
絶対無理です。試しにプロット書いてみて欲しい。
3. オリジナル
嫌だなぁ、というところ。怖いじゃないですか。
恋愛の要素をどの程度入れるべきか、入れるとして告白だとか実際の行動に移すか否か。
そもそも『氷菓』はミステリーである。米澤穂信のちょっと若い感じの文書がいい味出してる話で、恋愛要素はあっても、それは成就するしないの話ではなくて、友達以上になってしまうのか?という人間関係で一番難しくて面白い関係をあくまでたくさんある要素の中の一つで書いている。
つまり主題ではない。要素。
ご飯じゃなくてふりかけ。
とここまで書いて飽きたので没ネタになりました。
『氷菓』はどうなるのでしょう?
3月9日
ひっっとぉみぃおーーーーとじぃーーーればぁーーーーあなーーーーーたがぁーーー!!!!!!
レミオロメンのお陰で特別な日になった3月9日。
正直超好きですが。
今日は3月10日ながら、昨日は就活生な1日だったので、このブログ本来の目的である備忘録(忘備録?)と洒落込もうと思う。
7時 起床
就活生の朝は早い。7時に目覚ましをかけて、15-30分後に起きるのがマイスタイル。作家性。
9時 御社着(1社目)
錦糸町の方にあった御社へ。東武スカイツリーラインで一本。就活していて思うが、半蔵門線と日比谷線に乗り入れしてる東武スカイツリーラインはすごい。名前だけちょっとどうにかしてほしい。
11時30分 御社発
説明会と座談会の後、解放。ツイツイしつつ、駅前をぶらぶら。腹減ったな…と孤独のグルメぶりながら立ち寄ったのは肉そばのお店。
こいつ。
800円くらいかなぁ。肉がすごかったです(小並感)
かなりお腹いっぱいだったので腹ごなしに一駅歩く。
……が食後の運動に慣れてなかったお腹が痛くなる
13時30分 御社着(2社目)
神奈川県へ。15時から始まる説明会だったが、かなり早く着いてしまった。駅ナカのカフェで一杯お茶することに。
文章にすると優雅だが、実際は花粉症の兆候が見え隠れしているのでそんなに優雅ではない。
店内用のカフェオレを頼んだはずが、テイクアウト用だったらしく、あとで110円多く払うことに。カフェあんま行かないからテイクアウト用と店内用で値段が変わるとは思わなかった。
考えたらそりゃそうなんだけど。
待ち時間はSPIの性格診断に答えつつ、一般常識問題をしこしこやっていた。高校時代は学内クイズ王だったが衰勢ここに極まれり。「月日は百代の過客にして…」がなんの冒頭なのかわからなかった。芭蕉なのはわかったんだがね。
さらに言いますと、『土佐日記』も抜けてたし、その作者も抜けてた。まさにゴミである。終わってんな俺。
15時30分 御社着(2社目)再び
ちゃんとトイレに行って、2社目。
かなり満足したのでるんるんで帰宅。
帰宅中の電車内では『リトルウィッチアカデミア』を観る。8話「眠れる森のスーシィ」が本当に最高だった。
18時 駅着
駅着だが最寄りではない。一駅また歩く。乗り換えで100円払いたくない。『リトルウィッチアカデミア』面白かったし。
19時 帰宅
疲れた。ごはん!ふろ!
20時30分 就寝
気がついたら寝ていた…(´・ω・`)
と、まぁ10時間以上外に出ていた。
やっとこさ就活に慣れてきたのもつかの間、ESの期限の第1陣が5日後くらいに迫って来ている。
手書きのESはやめて欲しいなぁ、字が汚いんだよぉ…と小学生以来のガサツさに愚痴をこぼしつつ、とりあえずやらなきゃ…と重い腰を上げるのだった。
資料、名札、ペン、模造紙
自分はグループワークは嫌いだ。
というのも、就活関係でやたらとグループワークをする機会に恵まれるが、ひたすらイライラする日々を過ごしているからだ。
イニチアシブというよりマウントを取ろうとする中途半端に高学歴な男、考えることを放棄し、そのなかで書記をやることでなんとか自分の居場所を見つけようとする女、小学生時代の謎の学級会と何も進んでいないのが腹立たしく感じる。
自分自身、別にコミュ力だったり協調性がないわけではなくて、グループワークのあり方そのものに疑問がある。
私には5人のグループワークで導き出される答えというのは、5人が知恵を出し合って得た最善の答えというより、5人による談合の結果にしか見えない。話し合いの中でいいアイデアというか、少しひねりのあるアイデアがあったとしても、残り4人の「常識人」によって否決される。つまり、多くの場合、多数決的な、当たり障りのないものに仕上がってしまう。
当たり障りのないものなら自分1人でできるし、まぁ最低限それを認可してくれる上司がいればそれでいい。ひねりのあるアイデアを持つ人だって、チャンスを与えてやれば大化けする可能性だってある。
そもそも企画はひねらないでどうするんだ?
きめぇ茶番だよこれは。この結果なら課題が出た瞬間にある程度予想がついた答えじゃないか…。
最近のグループワークはずっとこんな風に考えながら、自分は話し合いそのものに悪影響を与えないように慎重に行動している。つもり。
たまに鼻に付く人は攻撃するんだけど。
今日だって、なんかイニチアシブとって気持ちよくなってる人がいた。
彼はまぁ、優秀なんだろうがもう少し周りを見てやるべきだったと思う。
よくわからなくてついていけない人をそっちのけで話し合い始め、結局自分が説明することに。いちいち説明しなおす面倒な気持ちはわかるけど、その人にとっては少し言い回しがややこしかっただけであって、そんなハブるほど頭の悪い人じゃなかった。
せっかくイニチアシブをとるなら、そういうところにも目を向けてあげて、グループとしての総意を形成すべきじゃないだろうか。
再三それを言ったのにわかってもらえなかったけども。
終いには分業化の旗のもと、下請けみたいな扱いをさせようとし始める始末。ここに至ってはもうグループワークではない。
グループワークをやり、初見の人と多く話し合いをする上で、イニチアシブをとるということは自分が引っ張る立場になるというわけではなくて、問題を提起し、色々な人を考えさせて、各々の得意分野を伸ばしてあげることにあると思うようになった。
自分は正直、昔から何でも1人でやる人、他人に任せてクオリティが落ちるリスクがあるくらいならリスクがある程度わかっている自分でやってしまえという人間だった。友人にも諭されたが(本当にありがたい)そういう姿勢はリーダーとは違うのだと思う。
中学生の時に受けた、「リーダーシップトレーニングセンター」では全く教えてくれなかったことである。
茶番は続く
クレーマーの話
バイト先がクレームを処理する機会に恵まれているので、クレーマーへの対応に磨きがかかっている今日この頃。個人的に見出した攻略法みたいなものを書いていこうと思う。
まずは、そのタイプ分けから。
1.本当に自分たちが悪い場合
2.彼らが責任を押し付けている場合
3.キチガイ
1.の事案ならやることは一つである。ひたすら善処すること。ひたすらに関係各所と連絡を取り、彼らの要求と懸念点を見極めて早急に対応すること。ただ、彼らの供述(敢えてこういう)が本当だとは限らない。書類や言質など、多くの証拠から真実を探し出す必要がある。本当に自分たちが悪いのか?彼らが自分勝手な証拠を捏造してはいないか?これを気をつける必要がある。
2.の事案はまず謝ることだ。1.の人とは違い、怒り慣れてる人が多い。そのぶんクレーマーの危険度としては高いが、その実は空虚なものも少なくない。論理は破綻しているし、結局自分勝手な意見を述べている場合が多い。
なぜ謝るかというと、彼らの怒りを鎮め、建設的な話に持っていくためだ。怒りの力は持続しないし、非常に疲れる。だからまず謝る。それもそのクレームに対してではなくて、クレームを言う必要に置かれた状況に対して謝る。(ご足労をおかけしました、とか)これで彼らは自分が話のわかるやつだと勘違いする。そんなことはない。だが、好意は受けておくに越したことはない。クレームそのものに謝ると、つまりは相手の主張を全面的に受け入れたと同じに取られることが多い。(そうではないのは知ってるだろうが、相手はそう賢くない)
自分に非がない場合、きちんと話して、理解を得られれば上々である。マシンガンのように言葉を並べろ。
3.はもうどうしようもない。全面降伏すべきだ。相手するだけ無駄だし、疲れるし、嫌な思いをする。この類の人間は他の場面で割りを食ってる場合が多く、そのストレスとかそういうものを自分にぶつけているにすぎない。彼らも哀しい存在なのだ。
自分らの利益はひとまず差し置いて、自分の精神衛生を護るべきだ。交通事故に遭ったと思って忘れるしかない。
まぁしょうがない場面というのはたくさんあるが、日頃からメンタルを鍛えておくに越したことはないのかもしれない。
急にバレーボールの話をする
リオデジャネイロオリンピックが終わって少し経った。我が街からメダリストが出て、近くその報告会をするらしい。
今大会、サッカーは決勝以外観なかったし、それ以外も試合が日本時間の朝に固まっているのであまり観ることがなかった。
陸上、卓球、水泳、体操、マイナーなところだとホッケーやセーリング。その他にも色々観た。うん、結構観ていたね。いや、好きなフェンシングが気がついたら終わってたから観てない気分だったのかもしれない。
その中でオリンピックで少しの発見があった競技がある。バレーボールだ。
まぁ日本国民、バレーボールはご存知の方が多いだろう。よくテレビで放送されてるし。
ルールがわかりやすいのがいい。同じ放送されてるスポーツだとサッカーや野球、テニス、ラグビーなんかがあるが、サッカーはオフサイドという初心者殺しがある。(わかれば簡単なのだが、あいつは文字や言葉で説明するのが難しいのがわるい)野球も打って走れ!なんて言うけど知れば知るほど案外ややこしい。テニスはわかりやすいけれど試合時間が長い。途中で寝る人が多い。ラグビーやアメフトのルールは非常に複雑。知ろうとしなければまったく理解できない。
その点、バレーボールは得点関係のルールが自分たちの感覚に近いというか、「なんでダメなの!?」感が少なくていい。その辺のおばさんにもわかりやすく、ジャニーズオタクのおねぇさんにも、理解しやすい。
ただ、ファンにもなれない。
いっっつも疑問に思うのだが、バレーボールの国際大会、日本でやりすぎじゃないか?いっっつも代々木でやってないか?
スポーツはホームアウェイの雰囲気が好きな自分としては、常にホームで戦う日本代表が好きになれない。快挙!とか言われてもそりゃ毎度毎度自国開催だしなぁ…となってしまう。
ホームの雰囲気も好きじゃない。あの長いバルーンは一体なんなんだ。途中で挟まるジャニーズのライブはなんなんだ。あれはスポーツの試合というよりアイドルのライブではないか。
もちろん反論もあろう、バルーンは会場の一体感を促してくれる。しかしみーーーーんなバルーン持ってるしもうホームとかいうレベルじゃない。相手国の観客はなにしてるんだ。極東まで観にくる観客は狂ってるのか?
スポーツのハーフタイムなどに余興が挟まるのは案外よくあることで、有名所だとアメフトのスーパーボウルがある。アメリカンスポーツは総じてショーやエンターテイメントの側面が強い。でも観客はアメフトを観に来たわけで、余興は余興にすぎない。しかしバレーボールはもうなんかスポーツ好きとしてはまったく相容れない状況である。
さらにいうとテレビのやたらバラエティに寄せた演出も好きになれないし、観客に対して扇情的というか、美女イケメンアスリートをピックアップするあの態度が好きになれない。
スポーツが単純に好きだ、という姿勢で観ると違和感だらけ。
で、オリンピックの時のバレーボールを観て驚いた。
オリンピックは色々と煩わしいノイズを取り払ってくれて、バレーボールをやっと普通に観ることができた。面白いじゃん…!
すごい面白い。ゲームはスピード感があり、迫力もある。たまに競技そのものが既につまらないものがあるがバレーボールはそんなことはない。人気なのもわかる。
日本では人気で、それこそ代表選になるとTwitterが盛り上がる。ただ、自分が好きになれなかったのはバレーボールという競技に対して少しリスペクトを欠くような気がしていたからだ。正直、スポーツを観る理由なんてどんなものでもいいが、余裕ができて来た時、その競技がスポーツとして正しい方向に向かっているのか考えてあげることもできると思う。
とりあえずバレーボールの国際大会は国外でもきちんとやってほしいし、ジャニーズは引っ込むか自重だな、と上から目線の指摘で終わる。
まぁそんなことを思う