たにしろぐ

日記というより備忘録です。誰かに読まれてることは想定されていませんので、覗き見感覚でどうぞ。

メッサーシュミット

麻雀を高校の同級生と嗜み、家でアニメを観る。

麻雀で初めて大きく勝ったのでなかなかいい気分。親で跳ねまくり、最後は飛ばしたので最高値は86300点を数えた。引きが恐ろしくよかったので明日死ぬかもしれない。裏や赤いのなしにドラ4とか考えられないし、追っかけたらほぼ必ず勝てたし。まぁ上手くなってるというか幾らか慣れてはきてるとは思うのだが、純粋にツキが回ってきているようだ。

 

アニメは今期のものをいくつか。それぞれ面白く観ている。

『終末のイゼッタ』はもう少し色調をダークな感じにした方が俺好みだよなぁと思う。もうそれ戦争映画じゃん!と言われたら反論できないけど。

色彩設計とか面白そうだよなぁ、かっこいいなぁとか思うが、まぁ、なんというか多分専門でやり始めたらそれはそれで大変なのだろうと思う。音声や照明に最近興味がすごいのだけれど、それもまぁそういうこと。

 

明日は2-4限で3限以外休講である。とはいえ、3限自主休講にせずに普通に出ようと(現時点では)考えてるので、そのようにしようと思う。

久々に書いたが500文字も書けなかった。おやすみ。

アニメレビューショウ『聲の形』

題の通りですが、『聲の形』を観てきました。

素晴らしい作品でした。

 

「寸分の狂いもない」

京アニは山田監督を意地でも手放してはいけませんね、というのがまず一つ。

ローアングル、視点ショットの多用、絞りや光量を思い切り飛ばす演出、実に挑戦的です。視点ショットは何本あったでしょうかね、最後の方なんか視点ショットにしてさらにぐるぐるやってましたからね。これだけ自由の利いて、かつそれを象徴的に作用させる余地のあるのが、アニメのいいところなのだと思います。

 

個人的に好きなのはケータイ電話の使い方でした。使っていたノートは過去のものとして一度置いておいて、新しい会話のツールとしてのケータイ電話は実にスマートで不可欠な存在です。アドレスを知ってから物語が走り出していく感じがして好きだな、と思います。

キャッチーな(というと語弊がありますが)手話の提示もよかったと思います。「またね」「友だち」などがそれにあたりますが、とくに最初の「またね」は素晴らしかった。観客に対して「またね」が時間差で提示されるって上手いというかズルいですよね。

そして、劇中でわかるような簡単な手話もある一方で、「わからない」ポイントもたくさんありました。手話だけが提示されて、どういう会話をしているのかわからないシーンです。こういうセリフなしの会話が登場人物のなかで交わされる作品はあまりないと思います。思いつくことだとせいぜい内緒話くらいでしょうか。観客を敢えて置いてけぼりにさせることで、後述の「わからない」感をより強く打ち出すことができたのではないでしょうか。

 

原作を読んだ身としても、映画化するにあたってここはいらないだろうな、という要素が見事にすべて抜かれていました。寸分の狂いもないシーンの数々です。無駄なものなんて何もなかった。???というポイントが何もなかった。

 

音楽の話

まず観始めた時、音楽に違和感を覚えました。ちょうど小学生のシーケンスですね。当初、あ、これはミスマッチなのかな?と思っていましたが、そんなことはありませんでした。

ドイツの劇作家・演出家にブレヒト、という人物がいます。彼は「異化効果」を唱えました。本来、私たちは物語に接するとき、その登場人物であったり、場面であったり、色々なものに感情移入します。

もし、「いい作品」の条件とは?と聞かれたらどう答えるでしょうか?必ず何人かは、「感情移入できる」あるいは「物語に没入できる」と答えるはずです。

ブレヒトはそこに異議を唱えました。「没入」の反対として「異化」を示したのです。観客と舞台の人間を一致させるのではなく、観客を観察者として据え置き、舞台はまた別の物として文字通り異化させるわけです。

序盤の音楽は異化を狙ったのではないだろうか?というのが私の考えです。私たちは西宮さんに感情移入してはいけないのです。石田にも、誰にでも。小学生の西宮さんのアイデンティティは聾唖者としてのアイデンティティなわけで、そこへ私たち観客が感情移入しようだなんて、考えてみればおかしな話なのです。

 

「わからない」

西宮さんに対して抱く、「わからない」という気持ちが重要なのです。西宮さんと私たちは完全に異なるものなのですから。

「わからない」人を見ると、人間はイライラします。これはもう仕方のないことなのですが、そういう気持ちを代弁してくれるのが植野というキャラクターです。私は植野が大好きです。彼女がいなければこの映画・漫画はかなり違ったものになっていたでしょう。私たちにとって数少ない「わかる」キャラクターだからです。私たちは植野に対して反発の気持ちを抱きつつ、ただ一方でわかってしまう苦しさがあります。「人間くさい」を超えて、あれは私たちです。

 

そういう意味で、ブレヒトのように私たち観客を観察者として置くとどうなるでしょうか。

そうです。観客は一歩引いて考えることができるのです。自分の小学生の頃、いじめられた記憶、いじめた記憶、見過ごした記憶。

これらの感情や記憶は、登場人物たちとは少し異なるけれど、私たち誰にでもあることを確認することができる。この確認で、後半からクライマックスにかけて、西宮さんや石田を感情移入、というよりはある少女と少年の物語としてしっかり見届けることができる。

これは非常に卓越した眼差しです。

もし、泣いた方がいるとすれば、それは聾唖者の女の子や、いじめられた男の子に対する「同情」の涙でしょうか?そんなことはありません。強く生きた彼らのその生き様に涙しているのです。

音楽の話から、主題に切り込むというのは初めてなので歯がゆい思いがあります。色々と付け焼き刃稚拙なのは言うまでもありません。ただ、「聲」がテーマになっているだけあって、音や音楽には非常に気の使われた作品だったと思います。ラスト、私はあれだけ感動的な「対話」のシーンは初めて観ました。「告白」「独白」ではなくて、驚くべきことにただの「対話」なのです。これはものすごいことです。

 

そういう批判があったらしいので、無理やりに「感動ポルノ」の話を照らし合わせると、私の指摘した主題を見れば違いが一目瞭然なのがわかります。「感動ポルノ」はああ、かわいそう、こんな人を助けてあげないと!という視点が必要になります。募金してもらわないといけないわけですから。

ただ、この作品は異なりますね。一々言うまでもありませんが、西宮さんは聾唖者というアイデンティティ以外にもたくさんの側面があります。耳が聞こえないということ以外は普通の女の子なのです。

ですから、視点として提示するならば、助けてあげないと!というよりは、普通の女の子として、普通の高校生のちょっとドラマチックな日々に対する暖かな眼差しなわけです。

 

ここまで書く理由として、まぁ『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という漫画がありまして、とある会社への企画書のために読んだ作品が一因となっています。

かの作品は吃音症の女の子の話なのですが、「どもり」や「吃音症」という言葉は一度も出てきません。つまり、「どもり」の話ではないのです。安っぽい御涙頂戴なんてやめてしまえ!

ということを熱弁したら落とされたので根に持っているだけなのですが、それとは別に、映画でもなんでも、「人間を描く」ことをまず最初に捉えなければいけないと強く再認識しました。

 

 とてもいい作品でした。たぶん劇場でもう一度、さらに何度か観ることになると思います。

 

10-11月の抱負

9月、有名なアイツのおかげでお給料がたくさん入り、いよいよ103万円が厳しくなってきている。10月と11月までが103万円枠に該当する規則なので、減らさざるを得ない。

月5万円ぶん働ければ上々、といった感じ。

え?十分じゃないかって?

月2万円とかしか稼げなかったバイト先にもいたことがあるが、当時は大学1年生。サークルに教習所に大忙しだった。

今とは違うのだ。

まず、月2万円で大学生は生活できない。だが、何かと入り用が多いのが大学生だ。そうこうして2年生になるころには小学生から貯めていた貯金をすべて崩していた。

得たものはお察し程度のもので、さすがに過去の自分に申し訳なくなり、まぁそもそもそんなに長く当時のバイト先にいるつもりがなかったのもあり、辞めてしまったというわけだ。

 

話がそれた。

 

要は、今までのバイト戦士的日常から離れざるを得なくなった10-11月、何をするか非常に悩ましい。旅行の予定は今のところないから、映画やアニメ、読書に課題。たまにゲーム。文化の秋になりそうである。

 

映画

Netflixでとにかくたくさん観る一方で、山中貞雄あたりを観たいなぁとこないだ思った。古いのも面白いのはわかっているけれど、ゲオに置いてなかったりするから少し難しいところはあるのだが。早稲田松竹でやる岩井俊二特集も観たい。リリィシュシュとかなんか敬遠してたけどあれ面白いらしいじゃん。

聲の形は今度観るし、怒りも今週中に観るつもり。

 

アニメ

Netflixを中心に一気観の予定。グレンラガンとかいいなと思う。あとは今期はたくさんアニメを観るつもりなのでペースをキープしたいな、と思う。

 

読書

スカイ・クロラとかすべてがFになるやつとか少し積んでしまっている状態なので、その解消ができたらなぁと思っている。

 

課題

シナリオの課題が少し多そうなので早めに手をつけないと…と言い出してもう1ヶ月。プロット考えるけど話がまとまらんのだよなぁ。

あとはゼミの発表であったり、その辺は映画を観ることにも通じるかな。

 

ゲーム

思い立ってポケモンのブラック2をちまちまとやっている。現段階でバッヂは3つ。エースは「ぼんじり」ことマメパト君。リオルやモココなど、御三家のツタージャ(進化したけど名前忘れた)より強いのが多くなってしまっているのがすこし悩み。ツタージャ君、くさタイプなのだけれど、1つ目のジムはノーマル、2つ目がどく、3つ目がむしだったものでほとんど活躍の場がなかったのがその理由。4つ目はでんきらしいが…、頑張れツタージャ

 

 

文化の秋にしたいですね。出来れば旅行行きたい

過去最多視聴予定本数の秋が始まる

秋アニメが始まった。オルフェンズとブブキの初週をハズしたので(もはや風物詩)『ステラのまほう』からのスタートとなった。

この前見出しとかをつけることを覚えたので、視聴予定アニメの期待感みたいなのをゆったりと書いていこうと思う。

今期終わったときにどうなっているか楽しみである。

 

2期 当確枠

オルフェンズ

個人的に一番期待値が高い。じゃあハズすなよという話だが忘れてたのだから仕方ない。スタッフや脚本が違う畑感のある方々だが、ガンダムの臭さがうまい具合に抜けているので(ガンダムを観ていることを忘れがちだが)自分はとても面白いと思っている。タイトルで人を殺すのはちょっとどうかと思うけれど、しっかり戦争をしてて非常に好感が持てる。今までになく好戦的で非情で強い主人公のミカがどうなっていくのか。

 

ユーフォニアム

京アニ枠。いや、1期が面白かったし今期も期待値は高い。心配というか、不安要素はほぼない。

ホコリ舞うステージの印象が今でも強く残っている。とても楽しみ

 

2期 候補

ウィクロス

候補、というのは観るのに少し悩んだということ。

ウィクロスは2期ではないが、ウィクロスを冠しているのでここに置いておいた。

ウィクロスの最後の方がかなり中だるみした記憶があり、なんか観るのがキツいとか言っていた印象だったので観るのに躊躇した。

脚本が岡田さんじゃなくなったし、キャストも一新されているので外伝、あるいはまったく別のものとして作るのだろう。あの世界観をどう広げてクライマックスまで持っていくのか。

 

ブブキ・ブランキ

恵まれた技術から…という1期。特に展開アツいわけでもなく、正直面白くはなかった。

観ながら作品がひっそりと死んでいく感じがして最後の方は少し怖かったのだけれど、2期はどうなってしまうのやら…。

敵のキャラクターがいいおっさんだったのとEDのあんがーあんがーが神曲だったのでその辺を見つつ、明らかに出しすぎたキャラクターたちをどう収束させていくのか期待半分不安半分で観たいと思う。

 

新規

ステラのまほう

「ステラ」アレルギーを克服すべく…というと大袈裟か。

監督は『のんのんびより』の川面さん、脚本が昨季覇権アニメの一つ、『NEW GAME!』の志茂さんの萌えアニメなんだから期待するなというのが難しい。現時点で唯一1話を観たが普通にこれから楽しみ。1話段階ではしーな部長を推したい。

OPの下地さんだっけ、とてもうちの大学にいそうなお顔をしていた。すごく顔見知りにいそう。

 

終末のイゼッタ

あんまりこういうアニメは選ばないが、なんとなく『戦場のヴァルキュリア』シリーズとの類似を見たような気がしたのでリストに加えてみた。アニメ盤でなくてゲーム盤ね。2から知ったもので1はやってなくて、2は好き。最後のシーンの作画は未だに許してないけど。3は途中で飽きてやってない。キャラデザは3が一番。4をVitaで出して欲しい。全体的な世界観とゲーシスが好きだった。

1は義勇軍、2が士官学生でなんで3が懲罰部隊なんじゃ。ゲリラとかやってくださいよ。

閑話休題

声優さんが一番好きなラインナップなはず。たしか。

たくさん戦闘シーン(戦場シーン)が出るといいな。ファンタジーに乗らずに行って欲しいなと個人的には思う。

 

魔法少女育成計画

あらすじを見て惹かれた作品。こればっかりはどうなるかわからない。あらすじを見るに、タイトルの割にはシリアス展開が多そうなので期待。明確な敵を固定できず、話のスケールがこじんまりとしなければいいのだけど…。

でもあらすじで惹かれたのは今まで観たもの全部見渡しても数少ないので結構期待している。

 

オカルティック・ナイン

キャラが可愛い、なんとなくオシャレだという理由でリスト入り。(『トリニティ・セブン』ぶり)たまにあるどうしようもないアニメの臭いがしなくもないが「観始めたら案外いいかもよ?」と脳内の俺が言っている。

略称は「オカン」らしいってのがもうなんかアレ。オカルティックで全部わかれよ…

 

 

絞りきれず、自分史上過去最多、今までの最多の倍という前例のない(大袈裟)の視聴予定数でお送りする2016年秋アニメ。完走するのは何本なのだろう。

長い長い14週を抜けた後、残るのはデスマーチの疲れか、最終回の美しい余韻か。

 

 

さいごに

これは自分個人の信条だが、ある作品に対してむやみやたらに悪いところを粗探しするのではく、作品をじっくりと観詰めていいところを見つけてあげるのがいい観客だと思っている。

本当にちまっとだが映像評論・制作やアニメ制作に関係している身、作る人たちへのリスペクトの念は惜しむべきでない。

そしてなにやりも色々な意味で「愛すべき作品」がたくさん出てきてくれることを楽しみにしているし、この気持ちを忘れてはならないと強く思っている。

 

 

ここまで書いて『てーきゅう』の存在を忘れていた。これはこれで楽しみよ。

 

 

蛇口にコンドーム

中学生の頃、多感な時期らしく、同級生たちはクラスの誰と誰が付き合って…とか別れて…とか、遊んで…とやっていた。

当時の私もそういう話がすごく気になる模範的中学生だった。あんまり混ぜてはくれなかったけれども。後日友人に聞いてみたら、「そういうの興味あったの?」という答えが返ってきた。俺は仙人か。まぁサッカーしてたしサッカー引退したら勉強してたし。そう見えたのか…。

ある日、同級生(女)が男と付き合っているらしいという話が出た。驚くべきことに、お相手は大学生とのことだった。中学生は14歳や15歳そこらなので、6歳差である。

当時の私は、大学生と交流があるのがすごいと思っていたし(兄はいないので)、さらに付き合うなんて大人だなぁ、と思っていた。

 

今、大学生となり、その男とほぼ同じ歳になり、その並々ならぬ関係を思い出して戦慄している。控えめに言ってもヤバすぎる。下手したら犯罪。

アニメをよく観る私にとっては、可愛いアニメキャラが中学生なんかよくある話だ。ごちうさチマメ隊とか(今、チマメ隊が予測で出たのに驚いている。打った記憶がないからiOSの仕様なのか…!)、ゆるゆりメンバーはほぼ中学生。可愛い中学生なんてありふれている。

 

二次元の世界では。

 

それとこれがまったくまったく別問題なのは言うまでもない。

正直、女子中学生なんてガキンチョにしか見えないし、真面目な男女関係なんて性癖云々以前に無理である。生きる時間軸に違いがありすぎるのだ。同じ6歳差と言っても、例えば26歳と32歳の歳の差とは違う、大きな壁がある。

じゃあ不真面目な男女関係だと仮定するとして、ざっくり言えばお遊びの関係なのだが、そうなると男の心理状況が非常に気になる。

単なるロリコンではないと思う。

同世代に慕われないから年上という下駄を履いて、その優位性をもって中学生をたぶらそうとしているのかもしれない。

あゝ、よく言われるところの人間のクズじゃないか。

男の頭を覗いてみたい。今、彼は何をしているのだろう。

 

と、本当かどうかもわからないことに対して勝手な推測で話を進めたが、中学生の女の子が大人に憧れて背伸びして、結局、その憧れた大人の薄汚い自意識のために利用されていたのならそれはそれで皮肉な話である。

そもそも中学生に手を出すような男が大人なのかはかなり微妙なところだけど。

 

個人的にはそういう話、嫌いじゃない。

 

真相は闇の中である。なぜなら誰も興味がないから。

 

叙々苑、ワイハ、ギロッポン

最近、というかずっとだが、ツイッターにネットビジネスのお誘いがよくある。中央大学の大野木くんとかすごいよく来る。なんならいっぺん会ってみたい。どちらかというと殴りたいが。

そもそもあれ、なにやってるの?わからない。

アフィリエイトとか?どんなんだろうか。

ソーシャル・ネットワーク』で観たようなのをイメージすればよろしいのか。マーク・ザッカーバーグFacebook作る話ね。

しっかし多くの大学生がネットビジネスをやってるように思える。友だちでやってる人はいないけど。

 

大学生活に退屈を感じて…とか言うけども、授業がつまらんのは聴いてる自分のおつむが足りないからだと思ってるし、人がつまらんのは引き出せてない自分が悪いんだろうし、学歴コンプならしょうもなさすぎてそれこそ取るに足らないし。

めちゃめちゃ忙しい自分としてはいきなり理解できない。暇なら手伝って。

 

試しに文教大の4年の男の子とコンタクトをとってみようとしたものの、完全に無視されている。

俺も稼ぎたいのだが。

できれば不労所得がたくさん欲しいのだが。

 

 

オーレ!読書感想文!

こないだバイト先の同僚の娘さんが読書感想文に悩んでいる、ということで、ちょっとだけ読書感想文について考えたことがある。

なにを書いたらいいかわからない、賞はいらないからとりあえず終わらせたい!という中学生が書くべき読書感想文はなにか。

個人的には答えが出ていて、まず映画原作の小説を買ってくる。んで、映画と小説の違いを考察する、というものだ。映画と小説の違いは誰にでもわかりやすいし、なにより映画原作の小説は取っつきやすい。

そして、その違いの考察は普通に読書感想文の話題としては充分だと思っている。大学生になってもやる人はやるでしょう?さらにメリットを言うとどんなに下手くそに書いても、違いを述べるわけだから読んでこないと書けないので、読んできました!アピールはできる。まぁ賞レースには加われないけれど、そんなん狙っている人は相当少ないと思うので、とりあえず終わらせたいひとは是非是非。

 

じゃあ俺はどうしてた?と自分の読書感想文歴を紐解くと、3冊の本が出てくる。(それしか思い出せなかった。)

まずは中学生の時に書いた司馬遼太郎の2冊である。

翔ぶが如く

萩の乱やら神風連の乱から、西南戦争、最後は大久保利通上智大学周辺で殺されるまでの明治維新直後、征韓論渦巻く明治日本を描いた小説。読書感想文とか抜きにして面白いよ。

『殉死』

乃木希典という旅順要塞を攻めた忠君愛国おじさんのお話。本そのものはめちゃくちゃ薄いけど内容が超難しい。なんでこれで読書感想文を書こうとしたのか正直謎。思いっきり左な先生だったら総括(業界用語)されていたはず。

 

司馬遼太郎で書いてくる中学生に可愛げがないのはさておいて、中学生の頃は読書感想文について、意味のない話をダラダラと続けたら課題が終わっているから結構好きだった。『翔ぶが如く』なんかは革命に必要な人材のタイプを述べるのに全文章の半分くらいを使った。激しく無意味だと思うが先生には褒められた。

一方でそれに気づく前の小学生の頃は読書感想文が嫌いだった。読書好きだったが「感想…?うーん、面白い!」そんな感じだった。なんだ、可愛げがあるじゃないか。そんな私を苦しめた読書感想文だが、その題材にした本で今でも覚えている名著がある。

 

きくちただお『オーレ!ぼくらのジェーリーグ』である。

 

今調べたら1994年版らしい。Jリーグの開始年が93年だからまぁその波に乗った形である。ジーコとかリネカーとか来た時代か?その前かな?産まれてないしわかんないや。

オーレ!というJリーグ初期にありがちな謎のスペイン語表記(ポル語かも)、そしてジェーリーグという商標に触れるのを恐れたか?というタイトル。ジェーリーガーとかもはや死語。うーむ、時代を感じる。

確か、もう10年くらい前の話なのでうろ覚えだが、車椅子の男の子がジェーリーグに憧れてて…という身体障がい者を扱った昔の話によくあるプロットだったはずで、あらすじを書かなくても読者諸賢に於いてはわかるだろうと思う。ただ、最後の盛り上がりのシーンだけは強く覚えていて、車椅子の男の子がサッカースタジアムに行き、Jリーグの観戦をしようとする。なんやかんやあって色々と障害にぶち当たるが、最後は盛り上がった観客が車椅子の男の子を担ぎ上げて、客席まで大玉送りよろしく輸送する…というもの(うろ覚え)。

なかなかぶっ飛んでいたと思う。昨今の身体障がい者ドラマ論争を吹っ飛ばすようでもはや心強い。

残念ながら、当時の私がどんな感想文を書いたか忘れたが、日本を飛び出してインテルACミランドルトムントアーセナルに日本人が在籍してる時代ってやっぱりすげぇな…と日本サッカー界の成長に驚くのであった。