空手をやっていました、という話
自分は決して背の高い方ではなく、むしろずっと小さいままに今までの人生の大半を過ごしていた。
成人式で最も言われた言葉1位は「背が高くなったね!」だった。
そんな華奢な自分。空手をやっていた時期がある。小1-4で割りと長いことやっていた。
4年やって面白さが全くわからず、結局嫌になって辞めてしまった。
帯の色は緑で終わった。ちなみにその道場だと次が茶色、その上が黒である。
帯の色というのは面白いもので、その人の強さ、経験をはっきりと表す。ガキンチョでもわかる力と階級の世界だ。
白、黄、青、緑、茶、黒、こういう順番だったと10年経った今でも記憶しているほどには印象に残っている。
ちなみに黒の上はまた白に戻る。黒帯が擦り切れに擦り切れて白くなるのだ。そういう人は道場に何名かいたが非常にかっこよかった。
空手を習ったことのある人は意外に多いと思う。
空手は形式が2つあり、「型」と「組手」がある。
「型」は個人競技だ。技の構成が決められており、それを試技して審査員に評価を受ける。
まさに型を美しく、たくましく行うことに意味がある。
今思えば武道の真髄を示すようで実にかっこいいものだが、小学生の自分、そんな良さなんかわからない。
ダンスだと思っていた。
ただ、昇級には型を覚える必要があり、試験前は必死になって覚えた。同期の子には絶対に負けたくなかった。
結局、自分は組手しか好きになれなかった。
組手は言うまでもなく殴り合いである。ポイント制だったか柔道や剣道のような形だったかは忘れたが、顔に装着された面(防具)を叩き殴ればいいのである。*1
この面が曲者で、顔を守るために作られているものだが、顔に強く固定されているので、殴られると痛くはないが衝撃でものすごく揺れる。
で、行き場を失った衝撃は顎をはじめとする際の方へ逃げていくので、結局痛い。
剣道の防具をつけた時に驚いた。ぶっ叩かれても痛くないとは!
当時の自分には戦法があった。
試合はじめの声の直後、迅雷の如く相手に猛進(盲進)し、一撃で勝負を決める、というものだ。
先手必勝、一撃必殺。
二撃目を想定せず、敵の出鼻を挫きに挫く。
「一の太刀を疑わず」とされた薩摩の示現流*2を彷彿とさせる必殺の戦法である。齢九つやそこらの人間がその境地に達するとは、東郷重位*3も現世にいれば舌を巻いたであろう。
……ようは真っ直ぐ突っ込んで殴るわけだ。
これが初手だと案外効く。普通は様子を見るから。
ただ所詮はアホな小学生の浅知恵に過ぎず、かわされたり失敗すれば手痛い反撃を受ける。諸刃の剣…というかギャンブルである。
空手は武道…ざっくりとスポーツなので大会もある。
型は一度出たきりだった。当時はダンスとほぼ同じ認識だった。
だいたい1回戦に勝ち、2回戦で上級生と当たって負ける、というのを何度もやった。
空手家としては全く芽は出なかった。
出す気もなかった。
辞めた理由はいくつかあるが、つまりは空手があまり好きではなかったというのが一番だった。
練習ではどうサボるか、どう時間を過ごすかを考えていたし、冬場でも裸足でなければいけないのが堪えた。
今となってはなぜ空手を始めたのかも定かではない。
当時は友だちもいた。男の子1人、女の子1人。三人組でいつもいたがあの2人が今なにしているかはわからない。女の子の名前だけは思い出せる。空手の先生が「そんなことやってると本に挟むぞ!」というジョークを話していたことを未だに覚えているからだ。オヤジギャグも侮れない。
得たものはよくわからないし、今や本当に自分が空手教室に通っていたのかさえ何だか捉えきれない思い出になってしまった。
ただまぁ、夏の夜の道場から帰るとき、木に吊るされた提灯の灯りとそれに照らされる石畳、そこに映える鮮やかな白色の道着、各々が蒸れた布の匂いを漂わせながら薄暗い道を歩いて行く様は(かなり)美化されつつも心象風景のひとつとして自分のなかに残っている。