夕飯時、とある中華料理店で
ある中華料理店、混み合った夕飯時のある席に、年老いた女性と化粧の濃い女性が向かい合わせで座っている。母娘だろう、というのは直感と目尻の形でわかる。
娘は麻婆豆腐定食を、母は小さなチャーハン、そして餃子、取り皿を頼んだ。
大学生のアルバイトだろうか、男の子が一度も目の前の客を見ることなく、慣れた手つきで機械を操作し、そのオーダーを受ける。
少しするとその店員が料理を持ってくる。トレーにいっぱいになった皿を並べていく。麻婆豆腐、そのご飯、スープ、小さく盛られたチャーハン、餃子。
テーブルに置いた拍子でスープが少し溢れる。添えられていたレンゲに滴り、黄色く滲む。
「ご注文はこれでお揃いでしょうか?」
店員がオーダーの書かれた紙を見ながら言う。
紙は何かの油で隅が濡れている。
「取り皿忘れてる!」
ピシリとまだ若い方の女性が言う。
向かいの女性は店員の手をじっと見つめている。
店員は短く謝ると、そそくさと裏へ戻り、取り皿を持ってくる。
ちょっとした平皿。何にでも使えそうな小皿である。
女性はどうやら気に入らなかったようで、店員に突っかかる。
「何このお皿!」
「はぁ…」
「麻婆豆腐を入れるのにこんな底の浅い皿だったら溢れるでしょう!」
「え?、あぁ、はぁ、申し訳ございません、他のものを…」
「だいたい、お母さんがこんな小さなチャーハンじゃあお腹空いちゃうと思って取り皿を頼んだのよ?私がこんなに食べるわけないじゃない!」
女性は止まらない。
「スープも溢れてるし、これじゃレンゲの持つところが汚いじゃない!」
「この店は接客がなってない!あなたもずーっと下向いてボソボソ話してるだけ!」
「なんかもうこのメニュー表もギトギトしてるし……」
相手に想像を強いておいて、自分は相手のことを全く考えていない例は結構ある。
店員は取り皿は餃子に使われると想像した。だが、女性は母娘の食べる量を想像しろ、と言う。
火がつけば燃え広がるもので、文句に文句がくっつき、何を言いたかったかなんてこと、最後にはもうどうでもよくなっている。
人のことを考えて発言をする。これは言葉を話し始めた頃からずっと言われ続けることだが、これが出来ている人は案外少ない。
「私はこう考える」が長年の経験において裏打ちされ、「人のことを考える」から」こう考えねば人ではない」というところに行ってしまう。
横で黙々と回鍋肉定食をかっこむ私ですら、その女性2人組の背景や考え、境遇などこれっぽっちも考えることなく、こうやって鬼の首を取ったような勢いでこういうところに書いてしまう。
次は自分の番かもしれない。